目が不自由になって、見えてきたモノ
最近、ブログの更新が滞っています。
いつも、当ブログを訪れて頂く皆さんには、タイヘンご迷惑をかけています。
最近、目の見え方がおかしかったんです。特に、ここ2週間くらいは、近くのものも見るのがタイヘン。
当然、PCも本も、見るのがタイヘンでした。目を物凄く細めたり、本やPCを物凄く近づけなければ見えないという状況になっています。
原因は白内障。白くカスンで見えるんですね。眼鏡をかけても、ほとんど見え方に変わりがない状態です。
何とか、かろうじて仕事をこなすのが精一杯の日々。目がよく見えないのは、とても不便。この不便さを通して、見えてきたモノが逆にあったので、それを列挙しておきます。
- 情報収集に支障が出る
- 目が見えなくなって改めて思いました。ビジュアル情報にいかに頼っているかということ。目が見えなくなって、集こにくくなった情報リストが以下のようなものです。
- 顧客からのレポート情報
- コミニケーション相手の表情情報
- コミニケーションを取る際の、相手の表情の大切さ。目が見えなくなって改めてその重要性が分かりました
- 自分が説明をしようとしている資料の情報
- 自分が作った資料でも、説明する際に見えないと、とても不便なのです。そして、いかに普段、作っている資料が、目が不自由な人向けに作っていないかという事も痛感しました。
パワーポイントをプロジェクターで見せるケースがよくあるのですが、今まであまり、そのような考慮を自分はしてきませんでした。1枚のスライドに入れる情報量は限定して、「でっかい文字」で作る必要があるんだなと改めて痛感しました。
- 自分が作った資料でも、説明する際に見えないと、とても不便なのです。そして、いかに普段、作っている資料が、目が不自由な人向けに作っていないかという事も痛感しました。
- WEB情報
- WEB以下の部分は、改めて目の不自由な読者向けに、字を大きくする、字の色を分かりやすいコントラストがとれた色にするなどの重要性が身にしみました。
デザインに凝って、字が小さく、白地に薄い色の文字を使っているWEBやブログなどは、正直とてもムカツキました。見えないんでスモンね。この目が見えない体験は、目が不自由な人の気持ちが分かるという意味でもとても貴重な体験だと思いました。
- WEB以下の部分は、改めて目の不自由な読者向けに、字を大きくする、字の色を分かりやすいコントラストがとれた色にするなどの重要性が身にしみました。
- 新聞
- 目が見えなくなってくると、あまり必要のない情報の順に切り落としてしていく事になります。
私の場合、新聞が一番最初に切り落とす事になりました。ホント、新聞情報がなくても、ネット情報だけでも大丈夫ですよね。そして、ネットの方が、目に優しいんです。文字の大きさを変える事ができるから。
これから、高齢化社会に入ると、新聞はタイヘンでしょうね。早くネットのモデルに移っていかないと・・
- 目が見えなくなってくると、あまり必要のない情報の順に切り落としてしていく事になります。
- 本
- 携帯電話のビジュアル機能(メール、予定表など)
- 私はWIN-Mobileの携帯を使っているのですが、文字のサイズを大きくしても、目が不自由な人には役立たないくらいの大きさにしかできません。私のような人には役立たないのですね。
やっぱり、目が正常に動く人が作ると、ユーザビリティなんだかんだといっても、ホントに有効なシステムにはならないんでしょうね。
- 私はWIN-Mobileの携帯を使っているのですが、文字のサイズを大きくしても、目が不自由な人には役立たないくらいの大きさにしかできません。私のような人には役立たないのですね。
- 現場の情報
- ショッピングセンターの売り場情報、商品情報も、入ってきにくくなってしまいます。これら生情報もとても大切ですよね。
- ショッピングセンターの売り場情報、商品情報も、入ってきにくくなってしまいます。これら生情報もとても大切ですよね。
- 自分の考えを「見える化」できない
- 目が不自由になってくると、自分が書いたものがよく見えなかったりします。だから、ブログのように文章に自分の考えをまとめる事や、自分の考えを図表やマインドマップなどにビジュアル化する事が難しくなってきました。(書くことはできるのですが、自分が書いたモノを見直すことが難しいという状況の為)
そうすると、今までより遙かに生産性が落ちてきますね。自分の考え方が深まっていかないのです。今までは、アウトプットしている最中に、アイデアが閃いたり、まとまったりしていたのですが、それを頭の中だけで作業をやると急に鈍ってくるのです。改めて、自分の考え方をまとめてアウトプットする事の重要性、「自分の考えの見える化」の重要性を肌身で痛感しました。
学習したこと、自分で考えたことは、アウトプットしてこそ、価値が倍増するのです。目が見える皆さん。アウトプットの時間を惜しんではいけませんよ。ホント、痛感しました。
- 目が不自由になってくると、自分が書いたものがよく見えなかったりします。だから、ブログのように文章に自分の考えをまとめる事や、自分の考えを図表やマインドマップなどにビジュアル化する事が難しくなってきました。(書くことはできるのですが、自分が書いたモノを見直すことが難しいという状況の為)
- 自分の考えを確認できない
- このブログにしてもそうですが、書いたものが、今は正確に把握できているかが自信がありません。もちろん、時間をかけて、じっくり読み込めばできるのですが、サッと確認すると、ミスが怒ってしまいます。それと、見えにくくなると、確認する際の根気がなくなってしまいます。
それと、見えにくくなって改めて思ったのが、いかに「経験による先読み」をしながら、モノを見ているかという事です。見えていなくても、経験上、何となくこのように書いてあるのかという事が読めるものに関してはサッと読めていくのですが、その先読みができないものは、今読むのにとても時間がかかるようになっています。目が不自由になって思ったことの一つが、「先読み力」の大事さです。
- このブログにしてもそうですが、書いたものが、今は正確に把握できているかが自信がありません。もちろん、時間をかけて、じっくり読み込めばできるのですが、サッと確認すると、ミスが怒ってしまいます。それと、見えにくくなると、確認する際の根気がなくなってしまいます。
このように、目が見えなくなった時に、今まで以上に役に立つようになったのが、iPodとスケッチブック。
iPodは読書ができず、情報収集不足を少しは補ってくれる、貴重な耳からの情報収集ツールです。特にPodcastには、タイヘンお世話になっています。ホントは、日本でも、もっとオーディオブックがもっと充実してくれるとありがたいですけどね。それと、iPodの文字の大きさ。これも何とかならないのでしょうか?ユーザ設定により、文字のサイズを大きくできるような機能が欲しいものです。
それと、スケッチブック。スケッチブックは、サイズが大きくて、文字を大きく書くことができます。その為、目が不自由な私でも、後で何とか読み返す事ができました。とても頼りになる存在でした。
目が不自由になって改めて感じたのですが、今の日本、ネットの世界も含めて、意外に「目の不自由な人のこと」を考えていない状況なんだなという事を痛感しました。正直、自分も目が不自由になるまで、そんな事を真剣に考えてみたことなどありませんでした。
「目が不自由な人」市場は、これから高齢化に伴い、どんどん拡大していくでしょう。日本では確実に成長が見込める数少ないマーケットです。これらのユーザーの使い勝手を考えた「目に優しい」というキーワードでの商品、サービス、まだまだチャンスがありそうです。(ネットの中でも、それを意識したサービスは意外に少ないものです)今回、自分の目が見えなくなる事で、「見えなかったものが、見えてきた」ような気がしました。
PS
この目の不自由な状況を変えるために、白内障の手術を行います。その為、1週間ほど、ブログはお休みさせて頂く予定です。ごめんなさい。開始予定は、8月21日を予定しています。ご迷惑をかけてすみません。