フェルメールの絵から学んだプレゼンの極意
昨日NHKのプロフェッショナルは、キュレーター・長谷川 祐子 さんがゲストでした。キュレーターは、展覧会の企画から、作家や作品の選択、展示の配置など、そのすべてに関わる、いわば展覧会のプロデューサー。(評価の定まらないものと向き合う「特権」 (茂木健一郎の「超一流の仕事脳」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
そこで、人を惹き付ける配置のポイントを2点述べられていました。
- 緊張とリラックス
- 暗い作品をいくつか並べると、必ずその後に明るくて、カラフルな作品をおく。そうすると明るい作品を見て、人はリラックスする。そのようなバランスを考えた配置が、暗い作品も明るい作品も印象度を高めていくことになる
- チラリズム
- 作品のところに、たどりつくまでの通路に、作品を感じさせる「光」などで、「あそこには何か面白そうなものがあるかも?」とチラッと興味をひくようなものを漂わせることが大事。そうする事で、観客の作品を見る姿勢が変わってくる
これは、モチベーションでも同じ話のように思えました。
- 緊張とリラックス
- いつも緊張した仕事ばかりを行っていけば、モチベーションは下がっていくということ。
・緊張とリラックスのバランスを考えた、一日のワークスケジュール。
・集中力が要求される仕事の後には、ユーモアとリラックスタイム。
・プレゼンなどでも、本題のテーマとジョークを交えた雑談。
・しっかりリラックスできるオフタイムの重要性
緊張の後のリラックスが、一旦、気持ちをリフレッシュさせてくれ、また次の仕事へのモチベーションを生み出してくれる事になります。
- いつも緊張した仕事ばかりを行っていけば、モチベーションは下がっていくということ。
- チラリズム
しかし、アートっていうのは、私たちに色んなインスピレーションを与えてくれる素晴らしいものですね。
私は今年の始めまで、アートなどには全く興味がありませんでした。
子供の頃から、絵を習っていたのですが、全く才能がなく、小学校の時から成績表に2が並ぶ時もあるくらい。
そんな私が、アートに興味が出てきたのは、茂木健一郎さんのアートに関しての話を聞いてから。(茂木さんのブログにいくと、かなりのアートに関しての講演のMP3があります。)
アートに込められている思い、背景、アイデアの深みなどを聞いていると、急に興味がでてきたので、ここ1年、東京に行くときは必ず美術館に立ち寄る習慣ができました。
このブログを書き始めた理由の一つも、ダビンチを見に行った時に、横で展示されていた「千手観音像」をじっと見てた時に、その姿がブログに見えたから。千手観音の一番大きな顔(頭)が自分のブログ。その周りのたくさんの頭や手と繋がっている事で、スゴイパワーを生み出している千手観音。この千手観音の姿がインターネットに見えたんですね。
一つのブログが他のブログ、サイト、ユーザーとインターネットと繋がる事で、「一人の人間ではできない考えられないパワー、今は気づいていない何かを生み出す」というい事が、千手観音を見て何かガツーンと感じるものがあったんですね。「ある意味、昔の人が千手観音に込めていた夢が実現できる環境が整ったんだから、これを目一杯に利用しない手はない。」と思ったんですね。
それが、ブログをはじめる一つのきっかけになったと思います。
先日も、国立新美術館のフェルメールの「牛乳を注ぐ女」(この絵は、Wkipediaのこちらのページでみる事ができます)とオランダ風俗画展にいきました。
美術音痴の私はフェルメールも牛乳を注ぐ女も全然、知りませんでした。
「牛乳を注ぐ女」というのは、オランダの国宝級の絵で、今、常設美術館が改修工事をしているので、日本に来ているとの話。
どこがスゴイのだろうと、野次馬根性丸出しで絵を眺めると。
素人の私でもそう感じる、何かがありました。
書かれている女性は、少し太ったおばちゃん。シンプルな台所で、おばちゃんが牛乳を器に注いでいるだけの絵。
同時に、展示している絵では、もっと魅力的な女性が描かれている絵やゴージャスなインテリアに囲まれた絵などありましたが、明らかに素人目の私でも、その凄さが感じられました。
1時間くらい、「牛乳を注ぐ女」と、「他の素晴らしいとは思うのだが牛乳を注ぐ女よりもインパクトのない絵」を比較しながらボーッと眺めていました。
すると、コミニケーションのあり方、表現のあり方についてのインスピレーションが浮かんできました。
何かを強烈に伝えたいと思うときは、「メインテーマ(女性)とそのメインテーマについての詳細論(左下のパン)、それと相手に考えて貰う思考の余地(上から右側に展開されている空白の部分)のバランスが大切」だという事が気づかされました。
フェルメールの細かい技術テクニックは、パンの描き方、女性の描き方を見ても、天才的なのは明らか。通常、そのワザをもっていると、絵全体にそのワザを使いたくなるのが普通。
「牛乳を注ぐ女」よりもインパクトのない絵を見ると、ほどんどの絵は、その空白的なものが少ない。情報量がありすぎて、メインテーマや作者がもっている詳細技術が目立たない。
フェルメールは、「俺の技術はドーダ」みたいな欲を押さえて、一つの絵の中にギューギューと詰め込むのではなく、見る側に「じっくり見る」余裕を与えてくれるのが、スゴイと感じました。(展示資料でX線でこの絵をとった写真があったのですが、実は、白い部分にはストーブ的なものを描こうとした痕が見られたそうです。しかし、バランスを考えて、全てを白い壁にしたのではないかという事)
これを見て感じたのは、我々も、何かを教えよう、何かを伝えたいと思うときも、この3つのバランスが大切だという事。
- 「主張したいメインテーマ」
- 「テーマに関しての詳細論」
- 「相手に考えて貰う、相手にイメージしてもらう余裕」
この3つのバランス。フェルメールの絵にはその3つのバランスが絶妙。
特にスゴイのが、「相手に考えて貰う、相手にイメージしてもらう余裕」の部分。
腕のたつ人であれば、それを全面的に魅せたいと思うのが当たり前。しかし「訴えたい」という欲を抑制して、相手にしっかり考えてもらうう余裕、間、余白を与えるコミニケーション。その勇気が持つパワーと、だからこそ生まれるメッセージ力を感じささせられました。
自分が伝えたいこと、自分の最高のテクニックをガンガンとプレゼンするより、「相手に自分の頭で考える余白、間、余裕」を与えることが、「自分の訴えたいテーマ」「自分の保有している技術」を効果的に伝える事ができるという発見が、フェルメールの絵から実感できました。
部下を指導するという例で例えると、「相手に自分の頭で考える余白、間、余裕」とは、
- 自分がベラベラと指導する時間は抑えて「黙ることで余白」を作り
- 「君はどう思う?」と相手に考えさせる時間を作ったりであったり
- イメージさせる為の事例を話したり
- 雑談を交えながら話したり
という相手の頭に「余白」を作らせながらコミュニケーションしていく方法の方が、強いメッセージを与える事になるという事を教えてくれたような気がします。
アートは、理屈ではなく、それを感動により実感させてくれる。感動という実感の中から理屈を考えさせてくれる。オモシロイものですね。素人でも、何か楽しめますね。