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Padを批判した宮崎駿監督に共感。「知ったか人」増殖の危機

宮崎駿監督が、iPADについて語ったエントリが話題になっています。代表的なものが、このエントリ。宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る

私もiPadを、発売初日に手に入れました。リビングネットツールとなっており、家族中が寝転がりながら、iPadでネットやアプリを楽しんでいます。そのように、大変iPadはお気に入りになったのですが、宮崎駿監督のコメントには、大きな共感を覚えました。





それは、インタビュアーの方に語ったこの部分です。

あなたの人権を無視するようですが、あなたには調べられません。なぜなら、安宅型軍船の雰囲気や、そこで汗まみれに櫓を押し続ける男達への感心も共感もあなたは無縁だからです。世界に対して、自分で出かけていって想像力を注ぎ込むことをしないで、上前だけをはねる道具としてiナントカを握りしめ、さすっているだけだからです。



 一刻も早くiナントカを手に入れて、全能感を手に入れたがっている人は、おそらく沢山いるでしょう。あのね、六〇年代にラジカセ(でっかいものです)にとびついて、何処へ行くにも誇らしげにぶらさげている人達がいました。今は年金受給者になっているでしょうが、その人達とあなたは同じです。新製品にとびついて、手に入れると得意になるただの消費者にすぎません。



 あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。

私は、iPadが生まれる前から感じていた問題意識に通じます。その問題意識とは、「知ったか人問題」です。知ったか人は、「思考の胃下垂」に陥っています。

一般的な胃下垂の人は、栄養の消化率が悪い為に、食べても太らない、痩せている人に多い。

「思考胃下垂症状とは」は情報吸収率が非常に低い状態のことで、たくさんある情報収集しても、表面的な知を吸収してしまえば、「知っている」と勘違いし思考停止状態になり、残りの知を捨て去ってしまいます。







私たちは、大事なことを行うために「情報」を必要とします。

  • 何かの意志決定(今度、沖縄に旅行に行く際の予定をどうしょう?)
  • 問題解決 (子供の湿疹を治したい。どうすればいいのだろうか?)
  • イデア創造 (何か新しい車のデザインはないか?)
  • 学習と成長 (文章を書くためのテクニックを向上させたい)

これらの為には、情報が必要です。

以前から、情報を手に入れるには2つの方法がありました。

一つが検索。

もう一つが過去知識をもとにした考察(推理・推察)です。推理、推察とは、既に知っている情報、過去の情報をもとに思考をしていくことで、想像力を回転させ推理・推察を行っていくということです。保有している少量の情報をもとに、スキマを埋めるため、不足する情報を埋めるために五感、思考をフル回転させる。





インターネットが普及する前までは、情報検索という事は大変労力・コストがかかるものでした。コスト的に 検索<思考という時代でした。だから、私たちは考察という手段に多くの時間をかけていました。





しかし、ネットの普及に伴い、カンタンに情報が手に入ることができるようになった。まして、iPadは、居間で寝転びながら「知りたい情報」を手に入れることができます。カンタンに手に入れることができるものを、私たちは大切にしません。ネット普及前であれば、現場にいかなければ手に入らなかった空気、情報。図書館までわざわざ調べに行かなければいけなかった情報。そんなものが一瞬で手に入る。





だから、「情報」を大切にしないくなる。そして多くの人は、一度、「情報に触れると」、「知ったか人」になるのです。知ったか人とは、「オレはその事については知っている!」と思い込んでいる人たちの事。表面の知で満足してしまう人のことです。「表面の知」とは、記号として知っているレベルのこと。表面的な知は消費するのには役立つが、何かを生み出すためには「奥深さ」が足りない。





知ったか人は、「一つの情報を奥深く、知ろうとしない」という特色があります。表面的に知っていることであれば、知っているつもりになって、学ぶこと、考えることをやめてしまいます。

これだけ情報検索がカンタンな時代になれば、ウィキペディアを調べれば分かるような表面的な情報など価値はゼロ。検索した情報から、どれだけ深く考える、更に他の情報と組み合わせてみるなどという事をやって、はじめて価値がでてくるのにも関わらず、ググったらそれで知ったか人になっている。





私は、知ったか人を見ていると、「知るということは善ではない。」と感じてしまいます。「知ることの不幸」を感じてしまうのです。一度、知ってしまうと、知ったか人の多くは「知ったつもり」になってしまう。「知ってる、知ってる。」って具合。本質が理解できていないにも関わらず、知っていることを理由に、次のことを知ろうとしない。訳知り顔で、本質を理解する作業を拒否してしまう。知ることでは、本質の理解は生まれないにも関わらず・・





私たちは、「大事なことの多くは、もう既に知っている」のだと思うのです。

例えば、私の仕事であれば、「内発的動機付け」という言葉。「人はアメとムチだけで動くのではなく、自ら沸き起こる感情をベースに行動する」という考え方。これを知らない人などいないハズ。

しかし、これを自分が子供に適応して教育をやっている人、ビジネスで活用している人、部下育成で活用している人など、ほとんどいない。知っているし、そうだとも納得している。

だけど、使おうとしている人は少ない。そこには、「本質の理解と、感情を揺さぶられるだけの気づき、或いは、脳への深い書き込み」が必要になるのです。しかし、ネットでパパッと調べた。或いは、速読でパパッと情報入手した位では、この事が実現できないのではないと思うのです。その「感情の揺さぶりや、脳への深い書き込み」は、何度も何度も情報を読み返し、自分の頭で深く考え、議論を行い、それを体験して失敗・成功を繰り返していくことで、単なる情報が、本質的理解に変わってくるものだと思います。





私も宮崎駿監督と同じように、iPadの普及による最大の懸念は、この「知ったか人」の大量繁殖を生むのではないかという危惧ですIPADIPHONEの登場で、私達はますます便利になり、そんな「ややこしい事」「面倒くさいこと」をやらなくて、苦労もせずにノウハウ、ドゥハウを手に入れることができるようになります。そして「表面の知」だけの人が増えてくる。そして「表面の知」を知っていることを理由に、「本質の知」へたどり着くことを拒否する人も増えていく。





そこで大事になるのが、宮崎監督の言うところの「消費者ではなく、生産者になりなさい」というところだと思います。知ったか人は、消費する為に必要な知しか手に入れることができず、知っている情報もトリビア(雑学)でしかない。何かを生み出す為には(生産者になるには)手に入れた情報をもとに、一歩深く考えて、本質的な知を手に入れる必要がある。





私は、本質的な知を手に入れるには、カンタンに情報入手ができる時代だからこそ、情報咀嚼力が大切になってくると思います。情報を自分の歯でかみ砕き、噛み砕いた中から、本質を取りだしていくということ。





情報咀嚼力とは、入手した情報を、自分の言葉、自分の考えにまとめ直し、本質を掴む力です。この情報を咀嚼したかどうかが、単なる知ったか人と生産者の違いだと思うのです。情報咀嚼力は、具体的には3つの力で構成されています。

  1. 文脈読解力

    例えば本を読むとき。本に書かれている、一つ一つの言葉、キーワードに囚われずに、文脈全体として何がポイントなのか?何が伝えたいのかを理解する力。

  2. 定義

    文脈読解力とは逆に、一つ一つの言葉にこだわってみるということ。そこで使われているキーワードを自分なりに、再定義をしてみる力。再定義を行うことで、その言葉が、自分のモノになっていきます。

  3. 行間読解力

    私も本を数冊書いていますが、本に書くことができるのは、私の知識のごく僅かです。そのときは全て書いたつもりになるのですが、後で読み返すと、行間がスカスカだったりします。マニュアルなどもそうですよね。全ての作業をマニュアルにはできません。マニュアルに書くことができないモノのほうが多いモノです。





    完璧な情報などどこにも存在しないといっていいでしょう。手に入れた情報は全て、その情報の行間を読む必要が出てくるのです。行間にこそ、その本質があるといっても過言ではないでしょう。

iPad,iPhoneは文明の利器ですので、上手に利用していく必要があります。しかし、便利だからこそ、溺れてはいけない。ぐうたらになってはいけない。安易に無駄な情報収集ばかりで時間を浪費させてはいけないと思うのです。情報収集オタクは、雑学オタクと同じで、生産的な人ではありません。(情報収集は大事なことですが、一歩間違えば、最大の生産性阻害要因にもなります。)





情報検索に時間を取られないようになったのですから、浮いた時間で情報咀嚼をたっぷり行う。表面の知を、本質的な知にかえていき、生産者になる。私が、宮崎駿監督の話を聞いて、感じたのはこの部分でした。