モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

つかこうへいさんが教えてくれた「教育の根本」

7月10日に演出家のつかこうへいさんが亡くなられました。演劇界の風雲児、美学貫き…つかこうへいさん逝く

私にとって、つかこうへいさんは恩人です。

会ったこともなければ、舞台も見たこともありません。

彼と出会ったのは、文字の世界だけ。文字の世界における彼との出会いで、私に、その後の人生を変える大きな気づきを与えてくれました。





一つの気づきは、以前ブログでも紹介した、『大学は何にも学ぶことはないが、合格することに価値がある。合格することで、親孝行してあげることもできないヤツが「大学に行っても何にも役立つことがない!」なんて偉そうなことを言うな!』という言葉。


この言葉により、私は猛勉強することになり、大学も合格し、結果、今のような仕事ができた。(詳しくは人生を変えてくれる言葉は、エロ本におちている事さえある。で)







この話には続きがあります。実はこの体験は、私が教えるという立場(コンサルタント)に立った時、最も大切にしているポリシーを生み出してくれました。それは、

『教育とは、知識やノウハウを正しく教えることではない。


教育が本来やるべきことは、「学ぶ意義」「学ぶ対象の価値」「学ぶ対象の興味深さ、面白さ、楽しさ」についての気づきを与えること。

それさえ与えることができれば、後は勝手に本人が勉強する。』


というポリシーです。





当時の私の学校は、強制的に学生を勉強させる受験校。寮生活だったのですが、1日12時間近くは、机の前に座らせられる環境の中で過ごしていました。そんな環境の中だったのですが、「オレは高校卒業したら、親父の後を継ぎ、洋服屋の跡取りになる。商売をするのに、大学なんていっても、何にも役に立たない。」なんて思っていましたから、机に座って教科書は開いているのですが、頭に全く勉強が入ってこない。


2年間1日12時間も「受験勉強することの価値」が理解できないまま、机に座っているだけの状態でした。結果、高校3年の時、私の成果は偏差値36という有様でした。

(後で振り返ってみると、「価値が理解できないまま、限界までの努力量を行うと、どんな結果が生まれるのか?」という大いなる実験をさせてもらったと考えています。この実験を2年間もした人は、世の中、そんなにいないのではないかと思います。)





そして、先のつかこうへいさんの言葉に出会い「受験勉強の価値」に気づくことができました。そこで、私は大きく変わりました!

変わったと言っても、別に予備校に行くわけでもなし、学校の先生の授業を一生懸命に聞くわけでもありません。ただ、前から持っていた受験参考書を、ひたすら学ぶだけ。(授業中も、授業を聞かずに、その参考書の目標ページだけを覚えようと頑張りました。)努力の量は、以前と変わりません。学習時間は12時間。





変わったのは、「受験勉強することの価値」が分かったという事と、その事での学ぶことへのどん欲な意欲と、それによる集中力。ただそれだけが変わっただけ。

教えてくれる先生も、学習する方法も、努力の時間も変わらないのに、1年間で30近くは偏差値が上がりました。





人の能力は無限大です。しかし現実には有能な人と無能な人が存在する。違いは、「学ぶ意義」「学ぶことの価値」や「学ぶ対象の興味深さ、面白さ、楽しさ」を気づきを得ているかどうかだと考えます。「BEFOREつかこうへい」と「AFTERつかこうへい」の私の違いのようなもの。





今、ほとんどの仕事において、自分の能力アップをしようと思えば、「学ぶことができる環境」は存在します。

インターネットもあれば、本もある。セミナーもいろんなところでやっています。月に給料の2割も出す覚悟さえできれば、学べないことは何もないという世の中です。その気になれば、いくらでも学べる世の中なのです。

学習の効果性、効率は、「学ぶ意義」「学ぶことの価値」や「学ぶ対象の興味深さ、面白さ、楽しさ」の気づき。その気づきによる、学ぶことへの情熱次第。

社員研修も含めて、企業における教育する側が意識すべきことは、この1点のみでいい。





もちろん、一つの話をすれば、「学ぶ意義」「学ぶことの価値」や「学ぶ対象の興味深さ、面白さ、楽しさ」を気づいてくれるかどうかは分かりません。人により、ビビッとする部分は異なります。

私は「つかこうへいさんの話」がビビッときて、受験勉強の価値に気づきを得ることができたのですが、全ての受験生がその話しでビビッとくるワケではありません。私はたまたま、つかさんの話がビビットきただけです。





教えられる側が何にビビットくるかは、正直、分かりません。根気よく、様々な角度から「学ぶ意義」「学ぶことの価値」や「学ぶ対象の興味深さ、面白さ、楽しさ」について、根気強く、撒き餌を丁寧に蒔いていく必要があります。そして、その餌に飛びつき、興味を持った瞬間、更にその興味を刺激する。

後は、どんなにいいテキストや、正しい事を知っている先生がいても、そんなに大差は生まれない。その気になった人は、自ら解決策は探してくる。(ドンドン優秀な人材輩出する上司は何を教えているのか?自ら学ぶ習慣をつけてもらう為の5つのポイント





私は、つかこうへいさんから得た気づきで、この事を学ばせて頂きました。



恩人の死は、私たちにいろんな事を考えさせてくれます。

成功したか、成功していないかは、どれだけ金を稼げたか?資産を稼げたか?ではない。どれだけ残された人に影響を与えているのか?どれだけ人の人生に、気づきを与えることができたのか?ではないでしょうか。





そのような意味でも、つかこうへいさんは、まさに成功者としての人生を終えられたのではないかと思います。ご冥福をお祈りいたします。