モチベーションは楽しさ創造から

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あなたはPKを蹴りたいと思いますか?

昨日は、私の周りはワールドカップ一色。普段、サッカーなんか見たこともない人まで、話題はサッカーでした。皆さんの周りもそうではありませんでしたか?


特に、話題の中心はPKを外した駒野選手の話。
「PK外したのは仕方がないよ」という同情論から
「外したけど、よく頑張ったよ」という賞賛まで、いろんな声がありました。


そんな話題になった時、何人かの人に質問をしてみました。
「あなたが代表選手でPKを決めれるだけの能力があったとする。PKを蹴りたいと思いますか?」という質問です。
あなただったら、どう答えるでしょうか?


PKに参加できるのは、最後にフィールドに出ていた選手のみです。11人だけ。普通、キーパーは蹴りませんから(昔パラグアイにいたGKのチラベルトという選手は蹴るほうもやっていましたが、それはマレ)、蹴る権利のある人は10人。その中から、基本は5人、蹴る選手が選ばれます。2分の1の確率です。


選ばれる選手は、「今いるフィールドプレイヤーの中で、精神的プレッシャーにも強く、技術も高いと監督から信頼されている5人」です。逆に選ばれないということは、「あまり精神的プレッシャーも強くないとか、技術的に信頼できないプレイヤー」だということになるのでしょう。


「PKを蹴ってこい!」と監督から指名されたいか?それとも「後ろで応援しておけ!」と言われたいか?あなたが、キックを成功させるだけの力量が十分ある選手だとしたら、どちらでしょうか?


私が中学校の際、サッカーをしていた時は、間違いなく「後ろで応援しておけ!」と言われたいタイプでした。失敗することが怖く、チームの勝敗に責任を持ちたくないという気持ちから、PKの際、「PKを蹴ってこい!」と言われないかドキドキしていました。だから案の定、「PKを蹴ってこい!と言われたことはありませんでした。



では、今同じ状況だったらどうだろう?と考えてみました。
今だったら、キックを成功させるだけの力量があるとしたら「蹴りたい!」と手を上げるのではないかと思いました。(監督から選ばれるかどうかは別ですが(^_^))


理由はいくつかあります。
最大の理由は、「蹴ることができるチャンスを手にしているから」です。
もちろんチャンスのウラにはリスクが存在します。失敗したら、今回の駒野選手のように「おまえのせいで負けた」と周りから言われ、「オレのせいでチームを敗北させた」と自分を責め続けるかもしれないという多大なリスクは存在します。だけど、PKを蹴れるチャンスがあるのは、ごく僅かの人にしか与えられていないのです。例えば、ずっとワールドカップ出場を願い努力をしてきた中村俊輔選手などは、蹴りたくても蹴れないのです。


「彼らのことを考えると、リスクはあるかもしれないけれども、こんなチャンスは絶対に逃したくない」と思うからです。


もう一つの大きな理由は、「他人が蹴って、その勝敗をただ受け入れる」ということよりも、「成功するも、失敗するにしても、自分の人生の今後について、できる限り関わりたい」と思うからです。もちろん、チームが負けた時、自分の失敗が原因だとメチャ叩かれ、責任感に苛まれる日々が続くでしょうが、それは自分の行動の結果です。


自分は蹴れるのに、手を上げずに、誰かの失敗でチームが負けてしまえば、誰からも責任は問われないでしょうし、「あいつが上手くやってくれれば」等と愚痴を言える立場でいれるでしょう。しかし、運命だけにのるだけでなく、成功するかどうかは分からないけれども、少しでも運命を変えるということに関与しておきたい!という気持ちが強いから。


彼のキックから、様々なことを考えさせられました。
駒野選手が、どんな思いでPKに望んだかは分かりませんが、「蹴る」という選択をした勇気に私は拍手したいと思います。


そして、今の日本人に最も大切だと思われる、「失敗するのは怖いが、チャンスがあるのであれば、蹴るという勇気を奮い立たせる」という事を改めて、考えさせられました。失敗したことでのダメージは大きいかもしれませんが、この経験を活かして、是非立ち直って貰い、また刺激を与えてくれればと思います。


PL失敗の先輩。イタリアのスーパースター。ロベルト・バッジオは言っています。「PKを外す事のできる選手はPKを蹴る勇気のある選手だけだ」。


今のように「リスクばかりを考えて、何もしないような取り越し苦労」ばかりをしている多くの人達が、駒野選手のPK失敗で、「あんな失敗をしたくないから勇気を出さない」という考えを助長することではいけないと思います。


逆に、彼の「勇気」を大切にする社会・組織を私たちは作っていく、キッカケになればいいと思いますね。その為には、駒野選手の「チャレンジする勇気と、それに全力を注いでくれたこと」を私たちは認め、もっと賞賛していく必要があるのではないでしょうか?失敗、成功という結果は、時の運です。そこにチャレンジした勇気を認める社会を作っていかなければならない気がします。


駒野選手。「ナイス勇気。素晴らしい感動をありがとう!」