モチベーションは楽しさ創造から

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怒りってホントに不要なものか?怒りをモチベーションパワーにする事

先日、「怒らない事」という本を紹介したのですが、その際、「怒らない事」にチャレンジ中という事で怒らない為の8箇条を書きました。
「怒らない事」というものにチャレンジして数ヶ月。怒らないという事が全くなくなったかと言えば、そうではないですが、かなり怒る回数が減ってきたように思えます。


体験をする中で思ったのが、「ホントにホントウに「怒り」とは必要のない感情なのか?という事です。
確かに、怒らないという事で、普段だったら夫婦げんかに発展するような話も、怒りを静めることで、無用な喧嘩も減ってきた。まして、自分の感情も気持ちがいいものです。


しかし、「怒らない」という事をやればやるほど、ホントに怒りって必要ないのか?という疑問がドンドンわいてくるのです。
私は、世の中にあるモノ、全てが必要だから存在すると考えています。起きることも必然であり、不幸な出来事といえども、何かのために起こっていると考えています。
そんな視点に立つと、、「怒り」だけが不要なモノと、どうしてもも思えない。
最近特に考えているのが、怒りの必要性と、それをどう人は活かすべきかという事です。


以前、マイクタイソンを育てた名トレーナーのカス ダマトが言った言葉にこんなものがあります。
「恐怖心というのは人生の一番の友人であると同時に敵でもある。ちょうど火のようなものだ。火は上手に扱えば、冬には身を暖めてくれるし、腹が空いた時には料理を手助けしてくれる。暗闇では明かりともなり、エネルギーになる。だが、一旦コントロールを失うと、火傷をするし、死んでしまうかもしれない。もし、恐怖心をコントロールできれば芝生にやって来る鹿のように用心深くなることができる」
恐怖心から起こる、怒りも同じようなものではないでしょうか?
「怒りも、人生の一番の友人であるのと同時に敵ではないか?」ということ。


怒りが友人か?と言えば、多くの人は違うというのかもしれません。
しかし、ホントにそうなのか?


一番、怒りが人類の役に立つ例として思うのが、ヒトラーの時代です。
ユダヤ人虐殺に代表される、ヒトラーの行う非道きわまりない行動。
この際、反ナチに立ち上がった人達が大勢いました。彼らの行動は、自分の家族、仲間を殺された怒り、ヒトラーの非道な行動を見ての怒りからだったはずです。怒りがヒトラーを倒し、新しい時代を生み出すことになった。
もしヒトラーの時代、みんなが怒らない人だったら、どうなっていただろうか?
怒った人がいたから、戦争は終わった。


これと同じように、「業界への怒り」「社会制度への怒り」「差別への怒り」等々、多くの怒りにより発明や社会改革が行われてきたという歴史もあります。(私の知っている多くの優れた経営者は、業界の常識に対して怒りを持っており、それを何とかしたいと思うエネルギーで業界に革新をもたらしたという人が多いのも現実だったりします。)


そう考えると、怒りの意味も考えざるおえません。
怒らないという事が、手放しで素晴らしいことなのか?とも言えないと思うのです。


そんな気づきから、最近、私が怒りに関して思っていることを、まとめてみました。

  • ・怒りも、人生の一番の友人であるのと同時に敵である。
  • ・怒りのパワーは凄く、新しいモノを生み出し、敵をなぎたおしていく程のパワーを生み出す。
  • ・ホントに大事な事、肝心な事に、怒りのパワーを集中できるようになろう。怒りのエネルギーを最大限に有効活用できるようになる。そうなれば、怒りは親友になる。
  • ・スポーツチームが試合前に円陣を組み、対戦チームへの怒りのエネルギーを充満させる姿は、まさに怒りによるモチベーションUP術だ。
  • ・破壊と、破壊を生み出すために新しいモノをうみだす怒りのパワーは、どの感情から生まれるモノより力強い。
  • ・だから、怒りは大きくなりすぎると、自分でも制御不能になり、しまいには自分をぶち壊してしまう。だから用心して使わなければいけない。
  • ・しかし、怒りは小さなことに向けてはいけない。
  • ・どうでもよい事への怒りは、真の敵だ。いつもイライラし自分を燃やし、友人との関係も燃やしてしまう。
  • ・小さいことに目くじらを立てて怒っていると、そして肝心なことに怒るパワーをなくしてしまうことになる。
  • ・小さなことには怒らないようにするために、小さなものに執着してはいけない。執着が怒りを生み出す。

皆さんは、怒りについてどう考えるでしょうか?