モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

責任とれと言う前に、責任とれと言われたら考えること。

私たちは、よく「責任」という言葉を使います。
例えば、新聞では小沢幹事長に、「政治責任をとるべきだ」「説明責任を果たせ!」とかいう話がよくのっています。
また、会社においても「キミは、責任をもってやってくれなければ困るよ」とか、「どう責任をとるツモリなんだ」などという言葉が飛び交っています。


責任という言葉は、よく使われるのですが、責任とは何でしょうか?
自分の責任は何か?責任をとるとは?を考える場合、2つの視点で責任を捉える必要があると思います。


一つは、責任対象・責任範囲という視点です。
「あなたは、何に責任をとらなければいけないでしょうか?」という問いです。比較的この部分は考えやすいものです。これは、「義務と責任」という言葉で考えていけばいい。


しかし、義務と一言でいっても、広義の義務と狭義の義務が存在すると思います。狭義の義務といえば、「法律や就業規則コンプライアンス)」などを意味します。これを破れば、責任は追及されます。しかし、それだけが仕事おいては、義務ではありません。

もう一つの義務、広義の義務となるのが、「与えられた役割と、それに伴う権限の遂行」ということです。


役割を遂行するには、それに必要な権限が与えられます。例えば、工場のラインで働いている溶接工の方。溶接工の方は、「○○を溶接する」という担当部署があり、そこで「決められたものをバナーで、マニュアルに従った形で溶接していい」という権限が与えられます。この権限は、切断部署の行員さんには与えられていない、溶接工だけの権限になります。


ビジネスにおいては、各役割に応じた権限が与えられており、それを各人が遂行することにより、組織は成果を上げていくことになります。この役割をいい加減にこなす人、与えられた権限を行使しない人が多ければ組織は崩壊していくことになる。
だから、役割を担うために与えられた権限を行使していくことが、義務になってくるのです。そして、義務の遂行に、責任が発生してくる。

この溶接工の責任とは、「溶接工としての役割を果たすために、○○をマニュアル通りに、決められた品質で溶接を行う義務を果たす」ことが責任になる。


製造業の工場ラインなどでは、この「役割と権限」が分かりやすく、責任対象・範囲が確定しやすいのですが、ホワイトカラーの仕事では、案外、いい加減に「権限」が取り扱われています。例えば、事務機の営業マンの責任範囲とは何でしょうか?「マニュアル通りに営業トークを行うことか?」と言えば、決してそんなことは無いはずですよね。


人は、権限が与えられていないことに関しては責任はとりようがありません。「行動すること」ができないのですから。仕事を与える側で言えば、「きちんと権限を明確にし、与えることなしに、責任は追及できない」ということを意味しています。常に、権限と責任はペアであるということです。


現実には、このことが分かっておらず、部下に与えている権限がハッキリしないまま仕事を与えているリーダーがとても多いのが現実です。
先ほどの事務機の営業マンになら、
・営業トークは自由に変えていいという権限
・営業ターゲットは自由に変えていいという権限
・訪問活動量は自由に変えていいという権限
・自由な価格決定、価格見積を行っていいという権限
・見込み客へのクロージングまでの戦略は自由にしていいという権限
など、営業活動を行うに際して、売上という成果を出す為に営業マンはいろんな権限が必要になってきます。


部下に、どこまでの権限を与えていくのか?そして、与えた権限の中でしか責任追及はできないということです。

「明確な権限を与えることなしに、或いは、権限を与えていても、いつも口を出して好きなようにさせないくせに、「責任」ばかりを追求するマネージャーがいます。これでは、責任を追及される側はたまったモノではありません。権限は与えらずに、好きなようにできないのに、「結果責任」ばかりを追求されれば、モチベーションが落ちるのも当然です。


「責任を持たせたいのなら、権限をしっかり与え、その権限に関しては任せる!」ということです。そうでなければ、彼に責任は問えない。逆に、責任を果たすことができないような人に、権限を与えてはいけないということになります。自分に任命責任がでてきますからねぇ。
自分の任命責任を意識して、「権限を任せる」ということが大事になります。


このように責任対象は、「どんな役割を与えられており、そこでどんな権限を与えられているか?行使できるか?」によって確定していきます。
もう一つ、重要な要素が「責任のとりかた」ということです。
与えられた責任を全うできなかった際に、どう責任を取るのか?どう責任をとってもらうのか?ということです。
責任のとりかたという事ではいろいろあります。
・法律的な処罰を受け入れること
・失敗の金銭的補填を行うこと。
・結果が出るまでやり続けること
・辞めること
・ごめんなさいと詫び、反省の姿勢を見せること
・非難・叱りを全部引き受けること
等々です。


狭義の義務である、法律や就業規則に従わなかった場合は、「法律的な処罰を受け入れること」「就業規則の処罰を受け入れること」という責任をとってもわなければいけません。


しかし、難しいのは、広義の義務である、「与えられた権限を使って(或いは使わずに)、役割を遂行できなかった場合」の責任のとりかたはとても難しいものです。


厳しいマネージャーなどは、営業マンの部下に「自分で買ってでも、売上を作れ」などと、失敗の金銭的補填を要求する人もいますが、そこまでの責任の取らせ方は通常できません。
では、どんな責任のとりかたがあるのでしょうか?

  1. 一つは「役割を果たすことができなかった」結果、トラブルがまだ解決されていないのであればば、あらゆる手段を使ってそのトラブルシューティングを全力で行う責任(労働時間外、深夜、日曜出勤をしてでも)
  2. 2つめは、そのトラブルの原因をしっかり探り、抜本策を考え、その遂行を行うことで、2度と同じ問題を引き起こさない責任
  3. 3つめは、きちんと詫びを入れて、迷惑をかけている相手に誠意を見せる責任


小さな義務を果たせないことは、誰にもあると思います。大事なのは、その際、しっかりとその責任をとるということだと思うのです。
ドラッカーの言葉で「リーダーの本質とは、地位や特権ではない。最終責任は自分にあるという覚悟」という言葉があります。これは、リーダーに限らず、ビジネスマン全部にとって大切だと思います。「人のせいにせずに、最終責任をとる覚悟。そして、責任を果たしていく」ということではないでしょうか?


この3つの責任のとり方ができず、今後も義務を果たすことができないと考えるようでしたら、「自ら身を引く」という責任を取る必要があるのかもしれません。


政治家の責任のとりかたも、これらの視点で見てみることも大事なのではないでしょうか?