モチベーションは楽しさ創造から

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豊かな人が不幸になっていくキッカケ

私たちは、豊かになることを目標に生きています。

豊かになった=幸せ

この公式は、ホントなのでしょうか?



金銭的に豊かになること

イデアが豊富に出てくる

たくさんの事業に成功すること

沢山の知識を学ぶこと

沢山の語学を操れること

沢山の車を持つこと

・・

豊かになることが、ホントに幸せなのか?成功なのか?



最近、私はこの公式に疑問を感じています。

確かに沢山の事を持つ事で得られる満足感は大きいものです。





しかし、豊かになったからこそ、沢山持つことでの不幸というのも現実には存在します。

例えば、アイデアマンがビジネスで成功できるか?アイデアマンはハッピーか?といえば、そうではありません。


「斬新な他にはなく、利益も取れ、顧客ニーズも高く、実現性も高いようなアイデアを次から次に生み出すことができれば…」と思っている人も多いかもしれません。


しかしそんな人達を、私は仕事柄みていますが、こんな人でハッピーになった人は、ほんの一握りです。





イデアが沢山あっても、人間できることはかぎられます。多くのアイデアマンは、「どれをやるか?」という選択と集中ができずに、うまくいかない。一度選択と集中がうまくやれても、その実現に向けて努力をしているうちに、「もっと素晴らしいアイデア」が浮かんできて、その誘惑に駆られて、せっかくやり始めたものを中途半端で投げ出す事になり、何一つうまくいかない。



イデアマンは、そのアイデア実現力に応じた、アイデア選択と集中ができればいいのだが、多くのアイデアマンはそれがコントロール出来ずにうまくいかない。

イデアマンの不幸。しかし、これは、アイデアに限らず、金、知識、土地…を豊にもっている人共通の問題であると思います。

逆に、豊でない人は、この悩みは少ないのです。

持っていないんだから、選択と集中すべき事柄も少ないし、覚悟も、開き直りも、諦めもつきやすい。





豊になると、この選択と集中が難しくなってくるのです。

どこまで豊になっても、万能者にはなれまぜん。

だから豊さに応じた、選択と集中が必要になるのだが、豊になると「自分は万能者だ」という錯角に陥りやすく、選択と集中を忘れていくのです。捨てる犠牲を払う勇気がなくなっていく。





今、この状態に陥っているのが、私たち、日本人ではないでしょうか?

失業者が多いとはいえ、まだまだ世界中から見れば、日本は豊かな国です。これだけ借金ができるのですから・・





今回、鳩山さんが辞めて、菅さんが総理になられました、。菅内閣発足 菅首相「よい日本、よい世界をつくるために全力を挙げることを約束する」

首相として目標を語った。
菅首相は、「政治の役割というのは、国民が不幸になる要素、あるいは世界の人々が不幸になる要素を、いかに少なくしていくのか。『最小不幸の社会』をつくることにあると考えております」と述べた。

「政治の役割は最小不幸社会を作ること」というコンセプトで頑張られるそうなのですが、最近の総理大臣がコロコロ変わる状況を見ると、「今度は大丈夫なのだろうか?」と不安を感じます。過去4年間で4人の総理大臣という、「年1総理」という状況ですからね。





戦後、日本は貧乏国でした。

国家予算もほとんどない。財政的にも火の車。

社会福祉、将来の経済投資、戦争で廃墟になった国土のインフラ投資などやるべき事が山程あった。

しかし、金がない。豊かではなかったのです。





当時の総理大臣達は、当然、国は選択と集中せざるおえなかった。選択されず、見捨てられたもの、見捨てられた人達は沢山いました。見捨てられた側は、「自分達で何とかするしかない」と諦めがつき、覚悟を決めて頑張る事ができた。投資も集中して行ったので、大きな成果が早く生まれていった。結果、日本全体が豊かになった。





90年代バブルに入り、日本経済が急成長し豊になると、借金も自由にできるようになる。そして、借金してまで、多くの人からの要求に万遍なく応えようとする時代に突入していきました。借金してまで・・

金銭的に豊になったこの位の時代から、選択と集中ができなくなってきったと思うのです。切り捨てることができなくなった。集中投資がされずに、政治家が国民の顔色ばかり見て、選択と集中からばらまきの時代に入ってきた。


この4年間で4人も総理大臣が替わるというのは、政治家が間抜けだから、このようになっているのか?というとそうではないと思うのです。正直、今、だれが総理になっても、うまくいかないような気がします。



総理大臣が悪いのではなく、国民が悪いからだと私は思います。

豊かになった国民達は、切り捨てる事を許しません。

ある選択をすれば、誰かがイヤな思いをする。全ての人をハッピーにすることはできません。全体最適を行うために、部分犠牲は不可欠になってくるし、そこをどう上手にフォローしていくのかが政治になってくるのでしょうが、今、そのような事をやれば、「○○を犠牲にするなんて」「○○の人達の気持ちはどうなるんだ!」等と徹底的にマスコミから集中砲火を浴びてしまいます。





日本人全体が、「全ての人達をハッピーにする事を要求する。」政治に期待をしすぎるからではないでしょうか?

政治家が、選択と集中をし、切り捨てる事を許さない。

切り捨てた途端、非難集中。そして非難集中を恐れて、選択と集中を行わない政治家が増えていく。

そして、借金してまでばらまきをしていき、多くの人の期待を見たそうとし始め、最後、突然死、デフォルトに陥る。





逆に豊でない国、発展途上の国々が、今、選択と集中をしています。国家戦略を作り、選択した分野以外は切り捨てて、そこに集中投下している。彼らは、予算を持っていないのですから、「それは仕方がない」と割り切ることができる。捨てられた人達も諦めがつくし、期待もしない。「政治なんかに頼ることはできない。自分の身は自分が守らないと!」と思って生きていく。





この総理大臣がコロコロ変わる状況を打破しようとすれば、今、私たち国民に必要なのは、政治を信じはするが期待をしない事!ではないかと思うのです。政治が、自分達の生活や暮らしを何とかしてくれるという事を期待することをやめる。

自分達は、もう豊ではないと知り、諦め、自分で自分のことは何とかしなければいけないんだ!と覚悟すること!





今の日本の閉塞感を打破するには、私たちが政治家に「自分達の暮らしを何とかしてくれる」という期待することをやめることで、政治家が選択と集中をしやすい環境、切り捨てることが容易な環境をを作ることではないでしょうか?政治家に変われという前に、私たち国民自身が変わるべき時ではないでしょうか?





豊かな人が不幸になっていくキッカケは、「選択と集中」ができなくなることです。豊かになればなるほど、「捨てる勇気」を持ち続けていく事が大事になると思います。