モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

GNH(国民総幸福量)NO1国家に学ぶ〜幸福感受性について


最近、偶然にもブータンについて取り上げているTVをよく見かけます。
ブータンが流行っているのかどうかは知りませんが、
それらの番組で取り上げているのが
「幸福度指数世界一のブータンってどんな国」っていう内容。


中国にGDPで抜かれ、震災で傷ついた日本は、
経済大国ではなく幸福度大国を目指すべきと考えてブータンを取材しているのでしょうか?
よく分かりませんが・・・


ブータンは物質的には日本より遙かに豊かではありません。
家電製品もTVや冷蔵庫くらいしかなく、洗濯も手で行わなければいけない状況のようです。
しかし、家族とのたっぷり語り合う時間があり、自然に囲まれ溶け込んだ暮らしがある。
TVでの取材は、そんなところを取り上げていました。


こんな国がなぜ、幸福度NO1なのだろうか?素朴な疑問を持ちながら番組をみていました。


幸福を感じる時、私達は2種類の感じ方があると思うのです。
一つが、自ら生み出す幸福感です。
気持ちよく歌が歌えた、素晴らしい絵が描けた、素晴らしい仕事ができた時などに感じる幸福感です。
もう一つが、外部刺激によって得られる幸福感です。
美味しいモノを食べたときの幸福感。欲しい車を手に入れて乗っている時の幸福感等々。


外部による刺激は、同じ刺激ならいつでも同じ幸福感を感じさせてくれるかと言えば
違います。
同じ刺激でも幸福感は変わってきます。
10億円の住宅が欲しかった人は、当然引っ越した時は幸せを感じるのでしょう。
しかし、20年毎日住み慣れてしまうと、そこには幸福感を感じなくなってしまいます。


私がこの逆の体験をしたのが震災の日のことです。


私は家族とディズニーランドに、娘の卒業旅行に行っていました。
そこで震災に合いました。
その2日前から、私は足の甲が腫れており、イライラ状態。
妻はせっかくディズニーランドに来たのだから、いろんな乗り物にのろうと動き回ります。
「俺の足のことを考えろよ」「せっかくディズニーランドに来たのに・・・」という夫婦喧嘩で
正直、あまり楽しい家族旅行ではありませんでした。


そこに地震です。ディズニーランドもかなり揺れました。
7時間近く、氷点下近くの中で、全く何も飲まず食わずの状態が続きました。
酷い環境の中でもまず感じたのが「家族が無事に揃っていることの幸福感」です。
後でニュースを見て、家族が流されている人達を見て、この幸福感を更に感じました。
普段、こんな事は当たり前すぎて、家族が無事で揃っていることになんかに
幸福感など全く感じていませんでした。


ディズニーランドでは、食事も飲み物も出ませんし(一部にはこれと違う話が出ていますが)、
強い北風に長時間さらされていました。
7時間後にホテルに戻ったとき、ホテルでは味噌汁と暖かいご飯を用意してくれていました。


これを食べた瞬間。熱い味噌汁が胃の中に入っていき、体がパーッと熱くなる。「最高に幸福だな」と感じました。


普段、感謝もしていない、ありがたいとも思ってもいない
「家族が普通に無事でいること」や「ご飯と味噌汁」。
これが震災のような異常事態になると、「最高の幸福」と感じる。

「最高の幸福」が横にあっても、私達はそれが気付く環境にいなければ、
気付かないままになっていたのです。


同じ外部刺激に直面した時、幸福を感じるかどうかは、
自身の幸福感受性によって変わってきます。


ディズニー覧での体験は、豊かな暮らしの中で、「幸福感受性」が鈍っていることを
私に教えてくれました。
地震の危機的状況が、私の「幸福感受性」を呼び起こしてくれたのです。
しかしまた日常が戻ることによって、「幸福感受性」が日々鈍っているのを感じます。
「家族が普通に無事でいること」や「ご飯と味噌汁」を当たり前に感じ、
それを毎日手に入れることが当たり前に思え、幸福感を感じなくなっています。


こんな事を思い出しながら番組を見た後、私は日本とブータンの何が違うのだろうか?
を考えました。
一方は、世界的に見れば経済的にはそれなりに豊かなのに
自殺者が3万人もでる国、不幸と感じている人で満ち溢れている国。
一方は、ブータンのように決して豊かではないのに、
自分達は幸福だと思っている人でイッパイの国。


私の中で考えた一つの答えが、マインドセットの問題です。
マインドセットとは、信念、心の持ち方の基礎となる部分のところです。


「幸福感受性」についてのマインドセットブータンの人々に比べて、
日本人は劣っているのか?
いや、そうではないと思うのです。


日本人も、昔は「幸福度感受性」が非常に高い国民だったと思うのです。
「清貧の思想」などもあり、貧しさの中にも幸せを感じ取る力が非常に高かったと思うのです。


しかし高度経済成長、バブル、バブル崩壊という流れの中で、「幸福度感受性」がだんだん低くなってきたのでしょう。
幸福度の基準が
・金や物質、それが満たされているか?その心配をしないでいいか?
が、いつのまにか私達の心の中で幸福度の基準になってきたのかもしれません。



ブータンの人は、今手にしている宝物への感謝をし、今宝を持っていることへの幸福を感じている。
一方で、私も含め日本人の多くは、今手にしている宝物への感謝する心を忘れ、手に入れていない未来の宝ばかりを気にする。
だから、どんなに豊かになっても幸福感を感じないのかもしれません。



私が震災から学んだことの一つに、
「幸福感受性が高ければ、小さなものにも、当たり前のモノにも幸せを感じることができる」ということです。
もう一つ逆の心理もあります。「幸福感受性が低ければ、大きなものにも、幸せを感じる事ができない」。


幸福感受性が低くなった人の悲劇は珍しいことではありません。
数千億円の資産を持っていても、悲嘆にくれて自殺する人もいるのです。
一つ紹介すると、2009年、ドイツの億万長者 アドルフ・メルクルのケースです。
彼は数兆円の資産を誇っていたのですが、金融破綻で多くの資産を失いました。
そのショックで自殺をしました。
ここまで聞くと、メルクルは一文無しになったか、借金だらけになったのか?と
想像されるでしょう。
違うのです。


メルクルは自殺した時点で、まだ彼には数千億円の資産があったのです。
数千億円の資産程度では、悲嘆に暮れ、幸福感を感じることができなかったのでしょう。



外からの刺激で私達は幸福を感じるのですが、幸福な人生を送るために最も大切ことは
「外部刺激をどう受け止めるのか?」という私達自身のマインドセット


幸福な出来事、不幸な出来事という、環境、外部刺激はももちろん大切です。
だから、幸福な出来事にどうやれば出会えるのか、掴むことができるか?
不幸な出来事からどう脱することができるかも大切。
しかしそれ以上に、出来事をどう受け止めるかという
「自身の幸福感受性をどう高めるか」のほうが、
それ以上に大切なことのように思えました。
ブータンの人達は、これができているのかもしれません。



私達自身の幸福を感じる力、幸福に敏感なマインドセットをどう育てていくか?
身の回りの日常に幸福を感じることができる体質をどう作っていくか?
本来、学校教育でも幸福を感じる力をもっと教育すべきなのでしょうし、
企業でもそうだと思うのです。



今は、幸福を手にする方法、
不幸に出会わない、脱する方法ばかりに私達は感心がありますが、
「何気ない日々の暮らしの中に幸福を見つける!
幸福感受性をどう高めるか?」に
もっと関心を持つ必要があるのではないでしょうか?


震災に見舞われて日本中が大変な時代だからこそ、
私達は「幸福感受性」を高めていく必要があると思います。


「幸福感受性を高めて、自分の周りを見渡してみると、思っている以上に多くの幸福に私達は囲まれている。」



ブータンの人達は、それを教えてくれているように感じました。