モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

「闘争心」が低い自分が幸せになるために

最近、「闘争心」という事が頭から離れません。
きっかけは、あるスペシャリストに出会ってからです。クライアントなので守秘義務がありますので、名前は出せませんが、日本でも有数の技術者であり、経営者です。彼は、所謂スーパーカーを何台も保有されている程の成功者です。(亀有公園前派出所の中川のようにスーパーカーを何台も持っている人です)
そんな彼と接して感じる長所が、この「闘争心」です。「絶対に負けない。」と思う気持ち。


この闘争心のお陰で、彼は日本有数の、世界でもトップクラスの技術を研究開発し、身につけることができるようになった。周囲(周りの社員)でボーっとしている人などがいると、アッという間に焼き尽くすような気迫が、普段の生活の中にも満ち溢れています。ふと、振り返ってみると、凄い業績を上げている私が知り合った人達も、彼のレベルまではないにしても、一般の人よりも強い闘争心をみんな持っていたように思えます。闘争心は、確かに大事だなと。


幸せな人生の追求とは、「自由を巡っての闘争」かもしれません。私達は、たくさんのものから束縛をされています。
・金からの束縛 (欲しいモノがあっても、金がないので買えないという不自由)
・上司からの束縛、会社からの束縛(やりたい事、言いたいことがあっても、口にするとクビになるかもしれないという不自由)
・顧客からの束縛 (無理難題を言われても、断ってしまうと、売上が下がるという恐れからの不自由)
・ライバルからの束縛
・既存の習慣・常識からの束縛
・既存技術からの束縛
・家族からの束縛
・友人からの束縛
・・・
様々な束縛から解放されて、「自分のやりたいように、思うように何でもしたい!」という自由がどれだけあるのか?が成功だと思うのです。


もちろん、一つの束縛から解放されたと思ったら、別の束縛がでてきたりもするのが、人生なのでしょうが・・だから、「欲」を捨てて生きるのが、「真の幸せだ」という考え方もあります。(究極の悟りを開いたような人)私なんかは、中途半端な草食系であり、「欲を全て捨てる」という気持ちにもなることができず、そうなると「束縛者からの闘争」に巻き込まれていくことになる。


束縛者は、「今のままでいいんじゃない?現状に満足しておけよ?そうすれば、悪いようにはしないから・・」と束縛をしてきます。そんな誘惑に負けずに、「絶対に負けない」と闘争心を駆り立て、闘っていく。闘っていくことで、一つずつ、自由を勝ち得ていく。
そんな側面が、人生にはある。


好き嫌い関係なく、私達は闘争に巻き込まれます。
ましてや、周りに「闘争心」が強い人がいれば、なおさらです。
日本には、最近闘争心が強い人が少なくなってきましたが、まだ開発途上の段階にいる国の人達は、「闘争心むき出し」です。彼らは生きるために、私達より遙かに強い「闘争心」を持っている。
自分は闘争を望まなくても、そんなに束縛からの自由を望まなくても、巻き込まれる。(全ての欲を捨てきれば別なのでしょうが・・)


ふと、自分の闘争心をチェックした時、「うーん。」と感じました。正直、あんまり闘争心が強くないんですね。「闘争心の弱い人」と「闘争心の強い人」がぶち当たった時、多くのケースが、闘争心の強い人が弱い人を食べていくことになる。闘争心の弱い人が、焼き尽くされ、犠牲者になっていくことになる。


これは、ヤバイ。何とか闘争心を駆り立てることはできないだろうか?
闘争心とは、何から生まれるのだろうか?
答えはいくつかあると思います。
一つは、「憎悪」。束縛する者への憎悪です。
2つ目は、「恐怖」。束縛者への恐怖。
3つ目は、「飢餓」。何かに対する飢え。
これらが、あれば闘争心は生まれてくるのでしょう。政治的なカリスマに限らず、カリスマリーダーは、これらを上手に刺激し、「仮想敵=束縛者」への闘争心を駆り立てて、やる気にさせていた。


草食系男子に近い自分を振り返った時に、自分にこの闘争心を駆り立てることができるか?これについても真剣に今後は考えていく必要のある事なのかもしれません。

(今、私のライフワークの「仕事を楽しくする」という事は、「闘争心がない人が、闘争で勝利する為のこの解決策」なのかもしれないのですが・・)