モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

教育とは教え、育てるものなのか?

今日、私達の子供達の学校は終業式です。
終業式と言えば、通知表です。
私は子供の頃、成績が悪かったこともあるのですが、夕食の時に親父から言われる小言(イヤミ)が強烈で、この終業式がとてもイヤでした。

今の自分を振り返ると、あの頃の親父のように、子供からは見えるんだろうなぁと、このブログを書きながら反省している所です。(どうしても、通知表などを見ると、悪い点数の部分などを見ると、ヒトコト言いたくなりますよね)


子供の教育にしても、部下の教育にしてもそうだと思うのですが、上の立場の人間は、どこまで人を教育できるのかという問題があると思うのです。

以前、ほぼ日に矢沢永吉のインタビューがありました。(私が、中学くらいから永ちゃんには、かなり影響を受けており、この年になっても大好きなのですが・・)そのインタビューの中で

熱心に10のことを伝えても、本人には2ぐらいしかわからない

それに対して、糸井重里さんが、こんなことを言っていました。

いまの若い人たちってみんな、いろんなことを覚えすぎたり、教わりすぎて、自分に、がんじがらめになってるんだよ。

そうなんですよね。私も、社員教育、管理者教育、経営者教育という仕事があるのですが、
・どこまでを教えるべきなのか?
・教えたうちに、どれだけ理解してくれているのか?

という2点は、永遠のテーマのように感じます。


皆さんも、セミナーや研修に参加されることが多いと思います。本で学習もされると思います。
学んだ後に、どれくらい実行できていますか?1ヶ月経った後、どれくらい、学んだことを覚えているでしょうか?


私も、前回のブログで、中村さんのセミナーに行ってきたご報告をしてきたのですが、あのようにブログにまとめていても、2割程度しか内容を覚えていません。実際は、ブログにまとめる前に、マインドマップにまとめましたので、2回もまとめて、2割程度しか覚えていないのが、私も現実だったりします。

また、子供の頃に、私はたくさんの塾やお稽古事にやらされたのですが、どれも身になりませんでした。今振り返ると、詰め込まれて教育されるのに、子供心に反発していたのでしょう。お稽古事で学んだ多くのことが、逆に嫌いになっていきました。(水泳、書道、絵画、エレクトーンなど、お稽古事全てが、イヤなものになっていきましあt。)


自分が教えられる立場になると、10言って2しか分かってくれないという事は、的を得ているなと改めて感じます。また、「詰め込まれすぎると」、詰め込まれること以外に学ぼうとしなくなる。詰め込まれるものだけを受け入れるだけの受動的な人間になってしまうという部分もあるように思えます。酷くなると、私のように、詰め込まれようとすると、逆にモチベーションが下がったり、嫌悪感を抱くようになってしまう。教育が、嫌いになるキッカケになることもあると思うのです。


そう考えると、教育っていうものは、知らない事を教えてあげるのでもなく、知識を詰め込むのでもなく、知識を与えて育てることでもないのではないか?

教育とは、それを学ぶことの「楽しさ、面白さ」を感じて貰うキッカケを与えていくこと。「もっと自分で上手くなりたい。学びたい。」という好奇心のスイッチを入れる手伝いをすることが、教育なのではないか?そして、スイッチが入るまで、根気強くキッカケを与え続けて、スイッチが入るまで待つ(見守ること)が教育なのではないか?正しいこと、必要なことを教えることも大事なのでしょうが、「学ぶことへのモチベーションスイッチ」を押してあげること、教育のポイントのように思えます。


例えば、子供が算数の得点が悪かったら、ガミガミ言って、塾に行かせて、詰め込んで貰うことが教育なのではなく、夏休みを通して、「子供に算数が楽しくなる。算数の面白さに気づいて貰う」キッカケを与え続けていくことが、教育なのではないか?


なんて、終業式のこの日、悪い通知表を見る予感がするので、その前に自分に言い聞かせるように、心構えをまとめてみました。