モチベーションは楽しさ創造から

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能力の高い人への教育と、問題児への教育はどちらが難しいのか?

前回に続いて、人材育成に関しての誤解についての話。
一般的には、教育能力が高い人というのは、レベルの高度なことを教える人というイメージがあります。


例えば、大学院の先生と、小学校の先生とはどちらがレベルが高いと思うか?と聞くと、多くの人は、「大学院の先生」と言うでしょう。
あるいは、コンサルタントで言うと、上場企業の社長さんへ経営を教えるコンサルタントと、零細企業の社長へ経営を教えるコンサルタントではどちらがレベルが高いと思うか?と聞くと、多くの人は「上場企業に対してのコンサルタント」と答えるでしょう。


実際、ギャラも、大学の教授のほうが小学校の先生より高い。また、企業内教育においても、新人に対して教えてい担当者のギャラより、管理職向けに教えている担当者のギャラのほうが高い。


しかし「レベルの高い人」に対しての教育をすることのほうが、ホントに教育スキルは必要になのるのでしょうか?


私の経験から言うと、これは当たっていないケースも数多くあるような気がします。


「レベルの高い人」への教育が優れたスキルが要求されるという幻想は、「人は、自分の器以上の人を教えることはできない」という言葉からの誤解から生まれていると思うのです。

確かに、「自分の器以上の人を教えることはできない」ということは正しいと思います。
・自分が知らないことは人に教えることができない
・自分が持っているスキル以上のことは教えることができない
・自分より大きな人物の発想法、考え方は分からないので教えることはできない
ということがあるからです。レベルの高い人は、現状でも高い知識、スキル、発想法、知能を持っているので、教える側はそれ以上のモノが要求されます。


だからといって、能力の高い人への教育のほうが、能力の低い人への教育が難しいとは限らないと思うのです。見落としがちになるのは、「自分の想像を超えるレベルが低い人は、教えることができない」という現実です。つい、私たちは自分達の常識、尺度で物事を見てしまいます。しかし、他人にその尺度を当てはめてみると、それを超えるような人は数多く存在するものです。


ある食品会社の営業マンを管理している部長の話です。部長には、計画的でない営業マンの部下がいました。彼を指導するために、部長は「15分毎に1週間のにスケジュール帳を書けと指導して、外出しました。
外出から帰ってきた部長は、営業マンのスケジュール帳を見ました。そこには、15分ごとに単に「外回り」「外回り」「外回り・・・」
と書いてあったそうです。当然、部長は外回りをするのであれば「営業先」などを書くようにイメージしていたと思うのです。まさか、夢にも「外回り」ばかりを書くとは思っていなかった。
その部下は、部長のイメージを超えていた。


後日談ですが、部長は、自分にはこの部下は手に負えないと諦め、ある係長に預けたそうです。その係長は、過去、駄目営業マンだったそうですが、努力されて現在のポジションを得た苦労人です。この係長は、自分の経験から、その部下がどんなことを考えているのかがイメージでき、それに合わせて指導することで、彼を立派な一人前のセールスマンにしたそうです。


「自分自身の能力より超えた、レベルの低さ」ということが現実にはあるのです。ですから、「自分の器を超えた人」も育成できないし、逆に「自分自身がイメージできる能力より低い人」も育成できないのです。


そう考えると、能力の高い人への教育のほうが、能力の低い人への教育より難しいとは言えないということが分かります。
それぞれで、「難しさ」が異なるということです。


しかし、多くの企業では、「能力の低い人への教育は誰でもできる。」という誤解のまま、教育施策がとられています。(これは、国の労働教育政策、一般の教育政策でも同じです。)
この誤解があるので、「育成能力が未熟な人に、レベルの低い人を教育担当者につける」というミスマッチな人材配置をしてしまい、結果がでてこない。
結果、人材が育ってこないのです。


私なども人材育成をさせて頂きますが、100%うまくいっているとは言えません。一部には、うまくいかない場合も正直あります。そして、それを分析すると、能力が高い人への人材育成は、ほぼうまくいく。失敗したケースのほとんどが、「能力が未熟な人」に対する人材育成でした。私の「イメージ力」「伝達力」などの能力不足ですね。


だから、最近、うまくいかなかったケースでは、このように謝りました。
「ごめん。あなたを育てるだけの能力が私にはなさそうだ。」と。
相手の能力が高かろうが、低かろうが、自分の想像を超えるレベルの人は教育できないということではないでしょうか?それが教育する担当者の能力の限界です。


私たちは、上限の器(自分は、このレベル以上の人に教えても成果をだすことはできない)は見積ますが、逆に下限の器(自分は、このレベル以下の人は教えても成果をだすことはできない)は、あまり考えることがありません。しかし、現実には下限の器も存在するのです。しかし、ここもしっかり考えておくことが、教育で成果を出すためのポイントではないでしょうか?


そう考えると、幼稚園の先生や小学校の先生などは、「難しい子供を指導して成果を出している先生」に対しては、もっと待遇アップしてもいいと思うし(よい学校に合格させることのできる先生だけではなく)、今、新入社員研修でご苦労されている担当者の評価はもっと上げていくべきと思います。(社内問題児を対応されている担当者の方は特に)
私たちが持っていない能力をお持ちなのですから・・