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大河ドラマ風林火山に学ぶ 「兵は奇道なり」をビジネスに活かすコツ 

現在のNHK大河ドラマは、風林火山だ。
主人公は武田信玄の軍師、山本勘助
勘助は、浪人者であったが、武田信玄に見込まれ、軍師まで出世する。

座右の銘は、孫子の「兵は奇道なり」という言葉。勘助はその言葉通りの戦術を駆使して手柄を上げていく。

当時も、勘助以外にもこの言葉を知っていた人は数多かっただろう。時は戦国時代、まさに兵法が最も大事にされている時代である。戦国に生きる者にとっては、この言葉は常識にしかすぎなかっただろう。しかし彼並みに、その一つの言葉を深く理解していた者は数が少なかったが故に、彼は出世する事ができたのではなかろうか?「戦国の常識=兵は奇道なりで、なぜ勘助だけが成功できたのか?」を考えていきたいと思う。

今、大河ドラマもあり、この言葉が再び多くの人達が知ることになった。

この言葉は一般のビジネスにも適用しやすいという事で、。この言葉に惹かれた人も多いと思う。このコンセプトはアジアだけでなく、アメリカのビジネスマンでも人気があり、孫子を愛読している人も数多い。(90年代のアメリカ映画、「ウォール街」でも大金持ちの企業買収家のマイケル・ダグラスが主人公のチャーリー・シーンに、ビジネスの基礎として孫子を教えているシーンがあった。)

しかし、この言葉は多くの人達に誤解を与えているケースが多い。勘助と他の戦国武将達の違いは何だろう?「兵は奇道」という言葉を聞くと、単純に戦争は、汚い事をしてでも勝てばいいんだという捉え方もできる。もちろん、戦争だからこの要素を全く否定する事はないが、この言葉の本質ではない。多くの戦国武将たちの理解はここで終わったのではなかろうか?そこで、この言葉を一歩突っ込んで考えてみたい。



孫子は兵勢の中で、 

凡そ戦いは、正を以て合し、奇を以て勝つ。故に善く奇を出す者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。終わりて復た始まるは日月是れなり。死して復た生ずるは四時是れなり、声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聞く可からず。色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて覧る可からず。先勝は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮む可からざるない。奇正相生ずるは循環端無きが如し。孰か能く之を窮めん。

「正と奇」を上手に織り交ぜていく事こそ戦いには重要であると述べている。

すなわち、「奇」という異質な戦い方は、「正」というオーソドックスな戦い方と織り交ぜることで初めて成果がでていくのである。
「正と奇」のバランスである。いつも「奇」ばかりやっていると、相手は当然、警戒する。「奇」が効果を発揮するのは、相手が「奇襲」をしかけないと思っている時にしかける事である。野球で言えば、いつもスクイズをしているチームは、肝心な試合でスクイズを決める事は難しい。相手が警戒をしているから。

まさかの作戦こそ、初めて成果がでるのである。その為には、重要なものが正。あえて常識的作戦という正を周りにどれだけ意識させるかが大事である。この常識的作戦という文脈の中でこそ、奇が生きていくのである。

例えば、あなたが「スポーツ関連のブログ」を書いているとする。そこでそのブログに注目を浴びようとすれば、8割〜9割はスポーツブログの王道で行く事である。ラーメン屋をあなたが開業しようとしていても同じである。8割〜9割は、ラーメン屋の王道で突き進む事である。後の1割〜2割の部分に「奇」になるオリジナリティや独自性を作る事である。

「奇」が大きすぎると、たた珍しいだけの変わり種、面白3流で終わってしまう。(芸人さんで言えば、レイザーラモンのような状況)「奇」が大きすぎると、最初から目立ちすぎ、大きいところから潰される。



マルセル・デュシャンというフランスの芸術家がいる。彼の「泉」という作品は20世紀最高の芸術作品と言われている。どのような作品かと言えば、美術館にただ男子用の便器を置いただけの作品である。この便器という「奇」が21世紀最高の芸術とまで評価されるのは、デシャンという超一流の芸術家という「正」が美術館という素晴らしい「正」の環境に置いたから、高い評価を得ることができたのではなかろうか?究極の「正」の文脈の中にある「奇」だからこそ、その「奇」が21世紀最高の芸術までの評価になるのである。

ウイキペディア:マルセル・デュシャン
『泉』は2004年12月、世界の芸術をリードする500人に最もインパクトのある現代芸術の作品を5点選んでもらうという調査の結果、ピカソの名作「アヴィニョンの娘たち」を抑えて堂々の1位を獲得した(ターナー賞のスポンサーとジンの製造会社が実施)。実際、『泉』の発表後、20世紀の多くの芸術家は『デュシャン以降、何が制作できるのか』という命題に直面しており、それに応えた作品が多く生まれている。


あなたも「兵は奇道である」を実践してみよう。しかし、単なる奇策を行うだけではダメだ。それだけでは魅力を感じる人は少ない。「奇」が「奇」として作用するには、正攻法がしっかりできるようになる事。正攻法の基本を身につける事が、「奇」が「奇」と感じる状況を作る事になる。「奇」を活かす為には「正」の充実が必要であり、「正」の複線をどう引くのかが重要になる。オリジナリティというスパイスは入れすぎると美味くない。

山本勘助は、「兵は奇道なり」と叫びながら、我々に「正という文脈の中での奇の力」を教えてくれているのではなかろうか?こういう視点でドラマ「風林火山」を見るとまた、面白さも増してくるのではないだろうか。