国民とか世論とか、「社会的証明」の悪用をマスコミはやめるべきでは
ある方向に、人をモチベーションUPさせる為の、一つのテクニックとして「社会的証明」の活用という方法があります。
人は、自分の取るべき行動に不安を感じる状態になると、他人がどのように振る舞っているかを見て自分の行動を決めるという特性を利用したモチベーション方法です。
「○○という考え方は、多くの人に指示されているという社会的証明がとれている考え方だ!だから、あなたも○○と考えたほうがいいんじゃない?」と説得するやり方ですね。CMにおいて有名人を活用するのも、この「社会的証明」の一つの変形ですね。「グルメの○○さんが、CMに出ているのなら、きっと美味しいに決まっている」などと消費者に思って貰いたいので、企業はタレントに多額のCM費用を払う。
私は元来、天の邪鬼なので、社会的証明の悪用を感じると、逆に反発するのですが、巧妙に行われる「社会的証明」は、人をある方向に誘導したらり、モチベーションUPさせる為に有効な手法です。
このやり方、うちの子供も、無意識に利用しています。
「お父さん。○○を買ってよ。みんなも持っているから?」
「○○をやりたいんだけど。みんなもやっているよ」
というヤツです。
社会的証明というモチベーション方法に踊らされるのが大嫌いな私は、「みんなって、誰のこと?クラス全員、学校全員に聞いたの?」と質問します。そして、「きちんと、○○ちゃんと、△△ちゃんが持っているから、私も買いたい!って言いなさい。みんなって言うと、多くの人は騙される。騙そうと思ったときだけ、みんなって言いなさい。パパを騙そうって思っていないなら、みんなって言葉は使ってはダメ!」なんて説教をしたりしています。
この「社会的証明」という手法を知っているのか、知らないのかは分かりませんが、最近、特に鼻につく程に、個の手法使っているのがTVや新聞です。今の民主党選挙の報道などもそうです。
- 世論
- 国民
- 我々
といった「社会的証明の言葉」を連発しています。
・カネについて説明責任を果たしていないと考えている大多数の世論に対して、小沢さんはどう答えるのでしょうか?
・国民は、身内内のゴタゴタを望んでいません。
等という使い方で、「自分達の考え方」を押しつけてきます。
私などは、「何が国民だ。俺も国民の一人だけど、そのように考えていないぞ。いい加減なことバカリ言いやがって」等と、TVにブツブツ言いながら見ているのですが、「社会的証明の言葉」に騙されて、「みんなもそう思っているんだ。なら、そうなんだろうな」と、そのような考え方に動かされている人も多いのではないでしょうか?
自分の意見に自信があるのであれば、このような「社会的証明の言葉」を使わずに、「朝日新聞としては○○と考えます」とか言えばいいにも関わらず、「国民、世論、我々」等の言葉を使う。
この傾向はとても危険だと思います。「社会的証明の言葉」を多用した延長にあるのが、全体主義です。ヒトラーにしても、戦時中の日本にしても、先行きが不透明な時代、多くの人達が不安を感じている時に、彼らは「社会的証明の言葉」を連発する事で、社会を誘導していきました。
特に、現在のように、先行きが不安な時、自分の意見に確信が持てない人が多い時代、周りを見渡して「多くの人がやっている行動、多くの人の意見」を見て、自分の行動や考え方を決める人が増えているように思います。今ほど、人をある方向に誘導したけり、モチベーションUPしたければ、「社会的証明」が有効な時代はないかもしれません。
だからこそ、社会的に影響のあるポジションの人は、「社会的証明の言葉」を使う事に慎重にならなければいけないのではないでしょうか?カンタンに、洗脳を行いやすい環境に、今現在、世の中があるのですから。
また、このような時代だからこそ、受け手は「社会的証明」を利用した騙しのテクニックに惑わされずに、しっかりと自分の頭を信じる事が大事だと思います。(逆に、)