モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

素晴らしい事ほど、コストの支払いを要求する

どんなに素晴らしいと思われる事でも、コストが必要になる。そして、コストを払わなければ、素晴らしい事が要求する「しっぺ返し」は、とんでもなく大きなモノになる。しっかりと、コストを払ってくことを厭わない事の重要性について、最近よく考えます。





例えば、総会屋の排除。10年ほど前には、当たり前に、株主総会のシーズンになると、総会屋と言われる怖い人達が登場してきた。総会屋の人達も株主なので、株主総会に出てきて、強烈な発言(スキャンダルや会社、経営者批判)を行っていく。それが怖いので、企業は総務担当者に株主総会前に、総会屋にお金を持って行かせて、そのような事をご遠慮願うように根回しをしていました。

それが、法律改正によって、総会屋さん達はいなくなった。(まだ、一部はいるのでしょうが・・・)

この事は、誰が見たって素晴らしい事ですよね。これに文句をつける人はいない話し。(総会屋をビジネスにしていた人は違うのでしょうが)





この素晴らしい話が実現した結果、経営はキレイになったのか?コンプライアンスは守られるようになったのか?

今の現状を見ると、企業は10年前より更にダーティーな部分が広がっているように思えます。(経団連の元会長さんの話とか・・)





確かに、総会屋という存在は悪なのかもしれません。しかし、現実には、彼らにつけ込まれたくなかったから、企業はキレイな経営をせざる得なかったという側面もあったと思うのです。ダーティーな面を総会屋に発見されると、大きなコストを払わなければいけない。だからキレイな事をやらざる得ない。





しかし、今、ダーティーな事をやったとしても、法律に触れなければOKという常識が強くなっているのを感じます。取り締まるのは、警察のみ。

マスコミは、スポンサーとして広告を出している先には、突っ込んでいかない。

株主総会も、自分の社員を1口株主にして大量に参加させておけば、一般株主の発言権は奪うことができる。

道義的にはアウトな事だけど、法律的にはセーフなら、何をやってもいい。そんな雰囲気が社会に出てきているように感じます。よく、コンプライアンスという言葉は常識になっているのですが、社会の実態、企業の実態は、そこでは狭義のコンプライアンス(法律に触れない)といいう事だけが徹底され、それ以外は何でもあり!になっている。(コンプライアンスの本質を考える人はとても少ないものです。)





「総会屋をなくす!」という素晴らしい事を行おうとすれば、本来、それに見合うコストを企業は払うべきだったのでしょう。自分達で「法律だけではなく、道義的責任を果たしていく」為に、自己監視をしていくルールであったり、外部監視をしていくNPOに金を出していくなりの自らを律していくというコストを支払う事が必要だったのでしょう。しかし、それをやらなかった結果、現在があるように思えます。





私達は、「素晴らしい口当たり」のよいモノであれば、諸手を挙げて賛成します。しかし、どんなに素晴らしく見えるものでも、行き過ぎればそこには、害が存在します。これは、宗教だろうが、民主主義などの政治信条だろうが、モチベーション方法だろうが、経営戦略技法だろうが、同じこと。



例えば民主主義。この制度自身は素晴らしいものです。しかし、これが成り立つのは、「人々が自分の頭で考え、違う意見の人との対立を恐れずにしっかりと議論していく。そこには、摩擦や議論していく時間」というコストが発生する。このコストを払わなければ、愚民社会、利己主義社会になってしまうという、しっぺ返しを食うことになる。





素晴らしいモノであればあるほど、しっかりとコストを払うという義務を果たしていかねばならないのでしょう。行き過ぎないようなコストをしっかりと払っていかなければいかない。コストを払わないで得られる幸せも、得も存在しない。コストを払うのはメンドクサイ事なんで、どうしても、忘れがちになってしまう事ですよね。





PS

別に、もう一度総会屋OKという社会を作ろう!などという主張ではもちろんありません。

誤解ないように(^_^)