モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

「貫くほどの好き」が見つからない!

「たのしみ」や「楽しさ」には、こだわって最近は生きています。


一つの言葉にこだわり始めると、それに関しての情報が集まってきます。

仕事に限らず、退屈そうなPTAの集まり、社交辞令ばかりの会議等々、日常のなかにも、「なんか楽しめるモノがないかな?」と探しながら暮らしています。

他人を見るときも、「この人は何を楽しく感じているのか?」とか、「何をたのしみにしているのか?」とかにも敏感になってきました。(モチベーションのために)


梅田望夫さんのウェブシリーズの本を読んだり、ブログを読んだりして「好きを貫く」という言葉に反応したのも、「楽しさ」と同じ臭いを感じたからだと思います。

僕が「楽しく仕事をする事」にこだわっていることも、梅田さんの「好きを貫く生き方」も、パラノイア的発想や「義務的に仕事をしていてもサバイバルできない時代」になった危機感から生まれたのではないかと、原点に同じ臭いを感じたからです。


そんな、臭いで反応したのはいいのだけど、ブログでこう書いていたり、最近、これをテーマに書かれている他のブロガ^のエントリを読むと、「好き」と「楽しさ」って違うってことを学んだような気がします。
「楽しい」方が感覚的・感情的、「好き」の方がもっと論理的、じっくり考えることが必要な感じがあります。


よくよく自分のことを考えてみると、私は今まで、全てのことに「好きで好きでたまらない」というものに出会ったことがないような気がします。
もちろん「好き」程度のものはたくさんありますよ。
音楽も好きで、普通の人の数十倍はCD等は集めています。
温泉やグルメも好きで、ちょっとした出張先に行くでも、その当たりの情報を徹底収集して、出張に出かけています。


確かに「好き」ではあるのですが、「貫くほどの好き」ではありません。


これらの「好き」は、他の優先順位が高いものがあれば、すぐに犠牲にしてしまう程の好きでしかないのです。
生きるための優先順位が高いモノ、カネになる優先順位が高いモノに出くわしても、犠牲にしないで突き進むようなものが「好きを貫く」ということになるのでしょう。


私には、そこまでの「好き」がありません。また、そのようなものを意識した事もありません。
よくよく考えると、「好き」ということを、それほど意識して生きてこなかったように思います。


ただ、目の前に楽しいモノがあれば、夢中でやる。
楽しいものがない時でも、「たのしみ」を見つけだす。
そして、楽しむ。楽しんでいるうちに、それが好きになる。
仕事をやっているうちに好きになる。
結果論的、好きというのが多かったような気がします。


「自分の仕事は好きですか?」と聞かれると、今だったら、「好きですよ」と即答はできます。
しかし、「最初から、仕事は好きでしたか?」とか、「好きを貫くほどの好きか?」と言われるとクエスションかもしれません。
「仕事をしてて楽しいか?」にはこだわってきましたが、「好き」をじっくり考えた事はありませんでした。梅田さんの本を読み、このブログを書くことで、はじめてじっくり「好き」を考えたと言えるでしょう。(そういう意味でも梅田さんには感謝なのですが)


血の滴るようなステーキが好きだ!」と言って食べているけど、ポット、うまそうなトロの刺身がでてきたら、「これ、うまそう」と、ステーキを食うのをやめて、それも楽しむタイプ。あまり好きでないカボチャが目の前に出てきても、「何とかカボチャを美味しく食べれる方法を発見して、それはそれなりに楽しんで生きてきたように思います。好きではない仕事の中にも、「楽しみ」を見つけて、それを夢中でやっている中で、いつのまにか好きになっている。そんな感じの「好き」でしかなかったような気がします。


「好きを貫く」ほどの心意気はなかったけど、「せっかく出てきたモノだから、全てを楽しむ心意気」だけは持って最近は過ごしています。


もちろん、そういう工程を経て、いつかは「好きを貫く」ものが見つかるのかもしれません。
だけど、いつまでも目の前の「たのしみ」ばかりに夢中になりながら、「貫く好き」が見つからないまま、日々の仕事を楽しむだけで終わってしまうかもしれません。


できれば「貫けるような好き」が見つけてそれを追い続ける生き方をしたいものですが、「今、あるチャンスを目一杯に楽しみ続ける」という生き方も、もう一つあるような気がします。それが、梅田さんが言うところの「けもの道」なのかもしれませんが・・


私と同じように、「貫けるような好き」が見つからない人も多いのではないでしょうか?「貫けるような好き」を見つける作業もかなり難しいものですからね。


これからも、私は「好き」をそれほど意識しないで生きていくのではないかと思います。もっと感覚的な、「やってて楽しい」を貫く生き方を選択していくのでしょうね。だけど、この道もかなりワインディングロード。「だけど、楽しくやっているから、まぁいいやって」とこなんでしょうけどね。

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