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オシムジャパン敗戦でも出てきた「精神力問題」って何だ?

今回のアジアカップ、最終的に4位に終わりましたね。サウジアラビアと韓国に負けたという事で、日本ではお約束の戦犯探しがスポーツ系ブログでは展開されています。中村俊介がチームにマッチしないとか、遠藤、W中村の併用問題とか、ジェフ勢の起用問題とか・・

単純に、素人目で見ている限りでは、ジーコジャパンの時よりも、動きがたくさんあって面白く感じたんですが、やっぱり目が肥えた人から見るとやっぱり問題はたくさんあるんでしょう。私も技術的には、自分が運動音痴という事もあり分からないのですが、スポーツで負けたとき出るのが、「精神力問題」です。



今回のオシムジャパンの敗戦でも「韓国と日本の違いは精神力の差だ」とか「韓国のような必死さ、勝利への執念が日本には足りない」とかいう話がネットでも出てますよね。モチベーションの高い、低いが勝負を決めたという単純な話が出てきます。

まずは精神力の問題では・・・!?アジア杯・韓国戦への辛口戦評

これは、サッカーだけではありません。野球でもそう。オリンピックで負けたら同じような話がでてきます。バレーボールでも、柔道でもそう。負けたら、「精神的な弱さ」が目立った。「精神力」が足りなかった。そんな話がでてきます。



ちょっとスポーツの話に戻ると、「根性がある、気合い凄い」と言われている選手ってどんな選手か?「気合いが足りない、根性がない」と言われる選手ってどんな選手かという事を見ていくと、ちょっとこの精神論問題のヒントになると思います。


サッカーで言えば、根性がある選手、気合い入っている選手の代表が昔のラモス選手とか中田選手、今では今大会欠場していたトゥーリオ選手。サッカーチームで言うと韓国チーム。昨日も、選手だけでなく、監督、コーチも大暴れでした。根性がない選手で言えば、昔なら城選手、柳沢選手、今なら中村俊介選手。


この事から分かるのは、根性がある、気合いが入っていると評価されるのは「表面的に闘争心が見える」かどうかという事のような気がします。確かに昨日の韓国チームを見れば、表面的に見える闘争心は凄かったと思います。日本選手はそんな表面的な闘争心が見える選手は中沢選手くらいしかいなかったでしょう。では表面的に闘争心がでているとモチベーションが高いという事になるのでしょうか?


また韓国チームは、ほとんどのチームが足が攣ったなかでプレーしていましたが、日本の選手は2〜3人を除きそこまではいっていませんでした。見かけは足が攣ってプレーするほど気迫があったように見えますが、プロ選手としてはどうなんでしょう?そちらの方がホントに気合いが入っているという事になるのでしょうか?大声を上げて暴れれば気合いが入っているのでしょうか?仲間や後輩を怒鳴り散らす事が気迫なのでしょうか?体当たりでファールをどんどん行っていくようなプレーをしていく事が気合いが入っているプレーという事なのでしょうか?確かに表面的に闘争心が現れるプレーの方がモチベーションの高さが感じられるのも事実です。


しかし冷静に考えてみると「勝つための気合い」という事では、我慢して相手にファールをさせていくという地味な態度の方がよほど気合いが入っているのではないでしょうか?相手に体ごとぶつかるとか、相手からファールを受けて、相手に仕返すなんかは私達一般人のメンタリティで、誰にでもできる話だと思うのです。しかし、それに耐える、あるいは痛いのを覚悟してファールを誘うという事は、よほど「勝つ」という事への目的意識と気合いがなければできない勇気のある事だと思うのです。


このアジアカップなどを見ていると、湿度70%、30度を超える試合を全力で何試合も走っている選手に根性無しとか気合いが足りないなんて思えません。サッカーにしても、野球にしても、バレー、柔道にしても日本代表に選ばれる事は夢の世界であり、それに選ばれるまでの「根性、気合い」は並大抵の苦労ではないはずだと思う。私が想像する事ができないほどそのスポーツに執念を燃やした人のみが代表レベルになるのではないだろうか?そしてその夢舞台で試合をしている時の必死さとは我々の想像を絶するような必死さで実際は試合をしているのだと思う。そんな夢舞台でもモチベーションが低い人など、ほとんどいないのではないでしょうか?アドレナリンが出まくりの状態だと思うのです。


しかし、見ている我々は、敗戦という問題が出てくれば精神論問題を持ち出してしまう。表面的に闘争心が出ていない選手が血祭りになってしまう。表面的に闘争心が出ていない選手でも凄い闘争心があるのだと思う。ただ、弱気の虫や緊張感が場面によって出てくるという事はあるとは思うが・・メンタルトレーニング不足という事は選手によってはあるのかもしれないが、気迫がなりない、闘争心が足りないという問題にすり替えてしまう文化が日本にはあると思います。(第2次世界大戦の時も、気合いがあれば勝てると思っていた民族ですからね。我々は・・)


まぁ、単なるスポーツ観戦ならそれでいいのです。しかしビジネスや仕事を行う際も同じような思考パターンに陥る傾向があります。例えば、売上が悪かったとします。すると、「営業マンの必死さ足りない」「数字への執着心の不足」なんていう事がを耳にします。システム開発のスケジュールが遅れたとかすると、「絶対に納期通りに間に合わせていこうという意識がたりない」とかいう話になります。これもサッカー選手と同じように、表情があまり変わらない社員さん、淡々と仕事を進めていくような社員さんなどの表面的に闘争心が見えないような社員さんが血祭りに上がります。



問題の真の原因を考えずに、「精神論問題」で終わらせていく。それでは何も解決しません。逆に、そんな社員さんのモチベーションを下げていく話になってしまいます。スポーツでも敗れた後、メディアで「根性無し」という事で叩かれて、モチベーションが下がり消えていった選手がたくさんいます。同じような状況になってしまうのです。

もちろん、ホントに「根性が足りない、気合いが足りない」という問題もあるかもしれません。しかし、「根性がなり内、気合いが足りない」という事象を発生させている「原因(真の問題)」があると思うのです。精神論を問題にするのであれば、そこまでを考えていく必要があるのであり、安易な「精神論問題」は何の問題解決にもならないと思うのです。しかしどうしてもその思考パターンに陥ってしまう人が多い。我々日本人が好きな思考回路なんでしょうね。スポーツのビッグイベントの敗戦は、いつも私達にこの事を教育してくれているような気がします


オシムさんがいっていましたが、「敗戦は新たに学ぶ事」を教えてくれますね。問題の真の原因を考えずに、「精神論問題」で終わらせていく。それでは何も解決しません

もちろん、ホントに「根性が足りない、気合いが足りない」という問題もあるかもしれません。しかし、それにしても「根性がなり内、気合いが足りない」という事象を発生させている「原因(真の問題)」があると思うのです。精神論を問題にするのであれば、そこまでを考えていく必要があるのであり、安易な「精神論問題」は何の問題解決にもならないのです。