長くて、つまんない話をイヤな顔をして聞く前に
「長くて、つまんない話をする人」ってあなたの周りにいませんか?
私は、経営相談という事で、たくさんの人の話を聞きます。
相談にのるために、あれこれ相手から情報を聞き出すのですが、相手は話が上手な人、ヘタな人。いろいろ。
時々、「ベラベラと関係ない横道にそれながら、何を言いたいのかを分からないような話をする人」と出会います。そんな人に出会うと、悪いとは思うのですが、聞いている途中で集中力が途切れ、「よく、これだけつまらない話をするな」と思ってしまう時があります。そういう人に限って、話が長い。
1時間の予定なのに、2時間近く関係のない話まで含めて、延々と話をされる。「早く、終わらないかなぁ。俺は、あんたの茶飲み友達じゃないんだ。」とか思いながら、集中力も切れて、途中から話も上の空で聞いてしまっている。私も、未熟でそんな事が年に数回ほどあったりします。
そんな気持ちでアドバイスしていたら、当然、その時のアドバイスはあまり良くないものになっていると思います。
みなさんの周りにも、そんな「長くて、つまらない話しかできない人」がいませんか?
人が何かを言おうとするとき、
人から見て、どんなにささいだろうが、つまらなかろうが
意味がある。
意味を知ったとき、自分の見ていた風景が変わる。
意味を知ったときに、
もっとも深く胸にしみるのは、
飾り気もない、特別でもない、
それは素通りしてしまうほどの
ふつうの表現だ。
私はもっともっと、
そういう表現に敏感にならねばならない。
この記事を読むまで、自分が悪いと思うより、「長くて、つまらない話しかできない人」の方が悪いと思っていました。だけど、違うんですよね。私の方が悪いんです。
相手にとっては、大事な話。大事な事を伝えたいと思って、延々と話をする。その意味は、ホントは凄いことかもしれない。
つまんない話は、たくさんの言葉の中に、うまくそのキーワードが入っていない。キーワードが入っていない話だから、「何をこの人は言いたいんだろう。」って感じます。
だけど、言いたい事って、伝えたい事ってキーワードだけじゃないんですよね。
キーワードで表現できない事もある。
伝えたい事はあるが、キーワードが思い浮かばない人もいる。
延々と続く長話の文脈の中に相手が伝えたいことがあったりするんですね。
「長く、つまらなく思える話」は文脈の中に意味があるんでしょう。
「くだらない話とか、もっと要領よく話してくれよ。」とか思う前に、
「この人が意味したいものはナンなのか?」
「この話の文脈で伝えたいと思っている事がなんなのか?」
という気持ちで聞き、
「文脈の中の意味」を感じ取るということが大事なのでしょうね。