モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

忙しさやストレスから解放されるには、あえて不自由になる事も大事じゃないのか?

今週日本テレビの24時間テレビで、身体が不自由にもかかわらずHAPPYな人生を創造している人達、障害がある中いろんなものにイキイキとチャレンジしている姿を見て凄いなと感じました。私達は、身体が自由な事、自由であるが故に忘れてきたもの、失われてきたモノがあるんじゃないかと感じました。


自由に何でもできる事は、モチベーションには不可欠です。自由とは自分で様々な選択肢の中から選ぶ事ができる事。やりたいことを何でもできる!自分が行うことは自分で決めることができるというコントロール感はモチベーションには欠かせない。自由に何でもできるとストレスも感じない。





自分で決める際に、選択肢がたくさんの中から選んでいく事が良い選択の鍵のように思われる。あるいは、たくさんの選択肢の中から選ぶことができる事が一つの豊かさのように考えられている。しかし、本当にそうなのだろうか?バリー・シュワルツの「なぜ選ぶたびに後悔するのか?」ではこの事にスポットを当てている。



私達は2種類の意味で自由という言葉を発している。積極的自由と消極的自由である。

  1. 消極的自由

    「○○からの解放」「上司からの強制からの解放」等の束縛からの自由

  2. 積極的自由


     「○○する自由する自由」という自分で描き、様々な機会を持つ自由

消極的な自由は、モチベーションアップの為には、絶対に必要だ。束縛感、強制感、やらされている感覚があると、人のモチベーションは一気に下がっていく。一方、積極的自由はどうだろうか。積極的自由の広がりこそ豊かさの証明だ。たくさんのものの中から選択できるという事なのだから。





しかしこれは広がりすぎると、自由を損ね始める
。私達の子供の頃はポテトチップと言えば、カルビーのポテトチップの塩味一つしかなかった。しかしどんどん豊かになり2007年になると、カルビーのポテトチップだけでも覚えることができない程の種類があり、その中から選択できるようになった。一見、積極的自由が増え、HAPPYなような感じがするのだが、積極的自由が実は、「ストレスや忙しさ」の原因にもなっている。



例えば、スーパーにポテトチップを買いに行く。本当に真剣にポテトチップを買うとするとどうだろう?風味、量、価格、脂肪分、塩分等々を真剣に比較しながら購入していく。更に、一つに決まったら、賞味期限まで検討していく。そんな事をもし本気でやっていたら、とんでもなく時間がかかかっていく。また、たくさんの試食をした後、塩味のポテトに決めたとする。そうすると、「梅味のポテト」の方が良かったかなと、ちょっと後悔しながら「塩味のポテト」を食べる事になる。





積極的自由が広がりすぎて、たくさんの選択肢の中から選ぶ事ができるという環境は、私達に様々な弊害をもたらす事にもなる。

  1. 選択権が増えるぎると幸福感が減る(後悔、機会コスト)、ストレスの増加
    たくさんの中から選択すると、良いモノを選択する事になるので満足度が高くなると一般的に考えられている。確かに論理的にはそうなのかもしれない。しかし感情の部分から言うと、前のポテトの話ではないが、たくさんの選択肢を知りすぎると、選択しなかったその他のものについての未練が生まれてくる。「あっちを選択していた方がよかったんじゃない?」とか、「本当に、これで良かったのだろうか?」という考えても仕方のない後悔が生まれ、自分が選択したものを楽しむ幸福感が減っていくという事が発生したりする。人は、たくさんのものから選びたいと思っているが、たくさんのものの中から選べば選ぶ程、後悔も大きくなったりする。

  2. 選択権が増えすぎると選択の時間と労力がかかりすぎる。そして、本当に重要な事ができる時間と労力がなくなってしまう
    選択には時間がかかる。たくさんのものの中から選択しようとすればするほどそうだ。自由すぎる為に「つまらない事を選択する事」に注意と時間が奪われてしまい、「本当にやりたい事ができなくなる」ことが、今私達の目の前に生まれているのだ。

人間、選択権を奪われることは恐怖である。自由の束縛は誰でもイヤなもんだ。しかし、選択肢がどんどん広がって何でもできるようになった今、私達に必要なハックの一つとして、大事な事以外を、ある意味、習慣的、ロボット的に処理していいくハック」必要になってくるのだろう。自らをあえて不自由にするハックだ。「これはやらない」「こんな方法以外はやらない」という事を決めていく必要が大事になるのではないだろうか?

例えば、

  • お昼ごはんを決めるときは、一番最初に目に付いたメニューを決める
  • パソコン周辺機器を買うときは、価格ドットコムの一番評価が高かったものに決める
  • 洋服を買うときは、5分以内に買う物を決める
  • 企業の戦略を作る際に、「この範囲の事業以外」は絶対にやらないというルールを決める
  • 会議は1時間以上はやらないというルール
  • 一つの意志決定は、大事なもの以外は1分ルールで行う
  • システム導入は、ベンダー3社の中から決めるというルール

等々、自分の自由をあえて縛るようなルール作りが必要になってきた時代なのではないだろうか?当然、そうする事で「じっくり選択をしていない為に、ベストな選択ができない」というリスクも生まれるだろう。しかし、そうしなければ、大事なものに集中できる時間が奪われ、真剣な選択により発生した後悔ばかりに時間をとられてしまい、肝心な事ができなくなる。肝心なもの以外は、「ベストな選択をする事をやめて、ベターな選択」を心がける。肝心なもの以外は、ベストな選択をあきらめる覚悟を持つ事が大事なのだろう。



しかし他人から選択肢を縛られるとモチベーションが下がってしまう。だからあえて、「大事な事以外の選択に関しては、自分で自分の作ったルールに縛る」というハックを身につけていく必要があるのではないだろうか?



自由は魅力的でかつ危険だ。自由の誘惑に溺れてしまうと、肝心な事ができない、自分が選択した事がなかなか満足できない人生になってしまうのだろう。


P>

なぜ選ぶたびに後悔するのか―「選択の自由」の落とし穴

なぜ選ぶたびに後悔するのか―「選択の自由」の落とし穴