モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

あなたの周りの羽賀研二さん 歪んだモチベーションの人達

あなたの周りに羽賀研二さんのような人はいませんか?
私は彼をテレビで見るたびに、何か特別な臭いを感じていた。それが何かをよく考えた事はなかったが、今回の逮捕にいたるキッカケが「未公開株に目が眩んだ失敗=4億円の負債」だという報道を聞いた瞬間、その臭いが何かが分かった気がした。


羽賀研二さんから沸き立つ臭いとは、金に目が眩んでいる人、金が全てのモチベーション要因にビジネスを行っている経営者から沸き立つ臭いに似ているのだ。長い間、経営コンサルタントを行っていると色んな中小企業経営者にお会いする。大企業の経営者と違って、中小企業経営者の個性は様々であり、聖人君子から極悪非道の人まで多種多様だ。


本当に人間的に尊敬できる経営者、事業に何かの思いを感じる経営者、特に理由はなく二代目として漫然と経営をされている経営者。色んな臭いを感じる。多くは一瞬では分からない。付き合う中で、その経営者の言動で臭いを感じる事ができる。そんな中、最も厄介な人が「モチベーション要因が金だけ」の経営者。金を儲けることはその商売を続けるためには不可決だ。金儲けは二の次にしろと言われることもあるが、そんなことをしたら会社は倒産するたけだ。目的が利益を上げることでもよいと思う。しかし、目的が金だけになると・・


そのような人は金の為であれば何をしてもいいと考えてしまう人が多い。コンプライアンス意識、モラル意識も薄くなる。だけど、その強い目的性の為に、ある瞬間を迎えるまでは、利益がどんどん増え、お金も増えていく。迷いがない為、立派な理念を持っている経営者になるより小金持ちになるスピードは速かったりする。


経営者の評価基準が「利益を上げる力とそのスピード」だとすると非常に優秀な経営者と言えるのかも知れない。スピードの速さが目立ち、多くの賞賛を周りが与えたりして本人を調子にのせていく。しかしその基準に「長期に利益を上げ続ける」という項目が加われば落第の点数となるのがこれらの人の特色でもある。


一生遊べる分くらいの金が貯まれば、そこで引退できればいいのだが、そういう人は更なる金を求める。羽賀研二さんも、大変な借金を宝石事業で返済を行い、更に財を築いていった。彼は、全国の宝石小売店に展示会を行って貰い、そこに出張していき彼のブランドの宝石をおばさん達に販売していった。販売方法も、おばさん達に密着しながら、買うまで返さないような販売を行う事で業績を伸ばしていった。(宝石の小売店にしてみれば、よくやってくれる販売員だったようである。)通常であれば、そこまでという売り方を、彼は金の為という部分で割り切って販売していったのだろう。一般価格よりも高額な宝石をおばさん達に販売していく事で大きく売上を伸ばしていった。全国での展示会で引っ張りだこだったそうである。(私の知り合いの宝石店の方からお聞きした話では、2日間の展示会で1000万上げないと羽賀研二さんの展示会は赤字になるという事だった。)実は、宝石業界の中で彼は、わずか数年間で成功者になったのである。全くの業界の素人が所得番付にのる状況になるまで稼いでいったのである。やり方については問題があるとは個人的には思うが、物凄くガンバッテいたのは事実なのだろう。


本来であれば、一つ事業や仕事で成功したならば、それに事業を専念すればよいのだが、金だけが目的の人は、美味しそうな話、儲かりそうな話にすぐ飛びついてしまう。事業や仕事には特別な思いはなく、金のみにしか思いがないので、誘惑にのってしまうのである。しかし美味しそうな話は現実にはなく、また大きな借金を背負ってしまう。(金だけがモチベーションの人は、その蓄財を別の金だけがモチベーションの人に奪われるケースが多いのではないだろうか?今回の羽賀研二さんのケースのように)そして、財がなくなり、また金だけをモチベーションとして猛烈に働き始める。財が蓄積しても、同じ事の繰り返しだ。


羽賀研二さんに限らず、我々の身の回りにも多いのではないだろうか?金だけがモチベーションの人。事業でのビジョンなしで、金だけを追求する起業家やモチベーション研修で成功者として紹介されるような人達、マルチ商法で成功者と呼ばれているような人達。


彼の逮捕は私達に教訓を与えてくれているのではないか?


「金を稼ぎたいだけ」のモチベーションが危険な事を!仕事やビジネスは「金だけの為だけ」にやれば失敗する。成功しているように思えても、大きな失敗が待ち受けているのではないだろうか?仕事や事業は「他人の幸せや社会への貢献」という本気の理念がベースになければ、目先の利益は掴むことができても、いつのまにか美味しい話に流されて墓穴を掘る形になるのではないだろうか?
愚直かもしれないが、この事件を

「自分の仕事や事業はどんなお客様や周りの人達に喜んでもらいたいのか?どう喜んで貰えると自分は嬉しいのか?私達のミッションは何なのか?」

を私達が再確認するキッカケにしていけばよいのだろう。私達の周りにいる羽賀研二さんのようにならない為に・・